僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

しきたりの継承と忖度

今日も寒いっす、アル症っす、肝硬変っす、59歳っす、でも元気っす。

本日もリスボンの、反逆(?)・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


これまでも何回か書きましたが、
僕たち、朝鮮民族は、
アジア文化の精神的支柱、儒教的な感覚を、
ある意味で少々歪んだ形で発展させてきたきらいがあります。

それは家父長制度の過剰な尊重と、
年長者に対する忖度の無言の社会的強要に顕れていると考えています。

前にも書きましたように、
このマンガチックなまでに極端な発展形の一つが、
朝鮮民主主義人民共和国という常識的な理解を凌駕する社会体制が地球上に現存するという事実です。

そして、
なぜか大統領経験者が不幸なその後を迎え、
多くの財閥に富が集中してしまい国力が衰えつつある大韓民国も、
同じく家父長制や年長者に対する忖度が幅を利かせている社会です。

特に年長者に対する忖度は、
その年長者の高齢化に伴う判断力や記憶力の低下が著しい場合、
時に笑うに笑うことのできな悲喜劇を引き起こします。

そして在日の家では、
いろいろな理由で本家本元を海を隔てて離れているためもあり、
本来のあり方から逸脱した文化的な継承が行われる場合も少なくありません。

特に祖先に対して礼を表す法事の際の作法については、
部屋の室礼から礼式の順序や礼拝の回数、
そして振る舞う料理の提供の手順や膳の上での配置に至るまで、
呆けてしまった年寄りの勝手な解釈が猛威を振るう場面が多く見られるようです。

僕が幼い頃は僕の一族はまだ羽振りが良かったため、
正月やお盆といった一年のそれぞれの節目ごとに、
親戚一同が集まる大規模な法事を行っていました。

まずこの法事、チサと呼んでいましたが、
礼拝に参加できるのは男性のみです。

女性陣は、女性の最年長者の指示に従って台所で調理を始めとする裏方仕事に徹します。
そしてでき上がった料理を膳にまで運ぶのは女性の最年長者の優先的業務です。

そして彼女は我々男性陣に対しても続けて行うべき作法について指示をします。

僕が小学校高学年の頃だったと思いますが、
小学生であろうと僕は男性でしたので礼拝の席に参加していました、
そしてその時の礼拝の指示者であった祖母の指示が昨年と違っていることに気がつきました。

いや、よく考え、思い出してみれば、毎年、作法も料理の出される順番も、変わっていたのです。

おそらく、彼女の意識の中では、しっかりと伝統を継承していたことだと思います。

しかし文盲であった彼女の高齢化に伴う記憶力の低下は疑うべくもありません。
僕の母親も含めた他の女性陣は、
また去年と違うことをやっているよ、と悪態をつきながら、祖母に従っていました。

年長者への忖度を何よりも重視する体制においては、
このように伝統は無作為の悪意とも呼べない誤解によって捻じ曲げられていきます。
そしてその歪を訂正する力は、組織の構成員の誰にも与えられていないのです。

朝鮮民主主義人民共和国という世界史の中の冗談としか思えない国家の存在、
そして、
かつては東アジアの経済や文化の新たなリーダーとして可能性を期待されていた国家、
大韓民国の凋落の予感。

これらは、このような儒教的精神のねじ曲がった継承が産み出した悲劇と考えることはできないでしょうか。

そして僕は、
僕自身の中にそのような悲劇を生んでしまうかもしれないDNAが潜んでいるかもしれないことに、
言い知れない不安を感じます。

僕たち朝鮮民族にアル症者が多いのも、このことと無関係ではなさそうです。

おそらく僕たちは滅びるべき民族なのでしょう。

でもアル症からの逃避を残りの人生のテーマとした僕は、
滅びには付き合いませんよ。
付き合いの悪い奴に徹します。

そしてそのためにもいつものように、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。

(ちょっと重たい話題ですみませんでした。)