僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

今更ですが、依存症の確認

飲酒歴40年、断酒歴2年と6か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、今さらながら・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


昨晩は、最近の僕の音楽活動の新たな拠点の一つとなりつつある、
僕の勤め先の近くにあるジャズ・カフェでのジャム・セッションに参加してきました。


前にも書いたと思いますが、
ジャズのジャム・セッションは、
要はプレイヤーのほとんどが飛び入りで演奏するライブ演奏です。

ほかのジャンルでは、
はじめてであったプレイヤー同士がほとんど打ち合わせもなく演奏を共にするということは考えにくいのですが、
ジャズはそんな無茶が可能なジャンルです。


昨晩は参加人数は少なかったものの、
それぞれに個性のあるプレイヤーが集まり、
互いの個性を活かしあいながら楽しいセッションができました。

僕はジャム・セッションの時は、
ピアニスト、ヴォーカリストとしての参加のほかに、
パーカッショニストとしてもプレイしますが、

このパーカッションというやつ、
演奏中は一番楽しめる楽器かもしれません。

打楽器ですから音程感覚をもちませんので、
リズムのバッキングに徹します。

そしてそのリズムも肝要なところはドラマーがしっかりキープしますので、
ビートに乗ってサウンドに色を付けていくことが主な役割になります。

かなり好き勝手ができますし、
その好き勝手のせいでアンサンブルがダメになるということもほとんどありません。

ホンマにセッションのえぇとこどりができるポジションなんです。



ところでタイトルなんですが、
ここまでの話は全く関係ありません。

さて今日のブログは何を書こうかなと思いを巡らせていた時に、
ふと、僕の職業ゆえのエピソードを思い出しましたので、書こうと思います。


現在では日本中のほとんどの大学が、
入試制度の一部にいわゆるセンター入試を組み込んでいます。

センター入試を利用する大学にはその条件として、
会場の提供並びに、試験監督や試験遂行のための職員の派遣が求められます。

僕の勤めている大学は美大ですので、
教室条件等からはセンター入試の会場提供は無理です。

従って僕たち教職員が、会場も提供し労働力も提供してくれるパートナー校に赴き、
協力体制の中で入試業務を執行します。


センター入試というやつ、

全国規模で徹底的な公正さを条件として行われますので、
そのマニュアルは詳細を極めます。

時間管理はマジで秒刻みで行いますし、
問題の受け渡し、回答の回収等の業務も、
ひたすらサイレントで行います。


ほとんど、修業です。


で、この修行なんですが、
たしか、5年ほど前から執行にかかわる教職員にある業務条件が課せられました。

それは試験執行の前夜は酒を飲んではならないというものです。

どうやらどこかの試験会場で、
前の晩の酒の匂いをぷんぷんさせながら試験監督を行った先生がいらっしゃったようで、
受験生から抗議のクレームがあり、
そのようなお達しが出されることになったようです。


で、まだ断酒ライフに入門していなかった僕はそのおふれを聞いて、
正直に、

んな、あほな、こどもじゃあるまいし。

とほとんど真に受けることはありませんでした。


もちろんその年の試験業務の前日は、
当然のごとく、大酒をかっ食らってから寝ましたよ。


その時の僕にとってそのお達しが重要な伝達であるとは思えなかっただけではなく、

僕は、
全国の大学の教職員の多くがこのむちゃな指示に対して、
面従腹背で無視するだろうなぁと、
信じて疑っていませんでした。

日常的には酒を飲まない方が多くいるという事実にもかかわらず、
僕は文科省のこのごく当たり前の通達が無理難題の押し付けであると信じて疑いませんでした。


この思考回路こそが依存症者の思考以外の何物でもありませんよね。

仕事のために前日の酒を控える、
この当たり前の、
そして決して難事業でもむちゃぶりでもない指示に対して、

あたかも実行不可能な無理難題のように感じ、
しかも嗜好品を楽しむという基本的な人権に対する妨害のようにも感じる、
この説明不可能な論理回路、そして感性回路。


断酒ライフに入門した今では、
この論理回路ならびに感性回路こそが、
アルコール依存症の動かぬ証拠であることが理解できます。


全然、自慢することではありませんが、
僕の依存症の純度はむちゃくちゃ高いようです。

ですので解決策は一つです。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。