僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

笑われる遺体

飲酒歴40年、断酒歴2年と8か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、一見不見識?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


僕の出勤時間は、曜日によって微妙なずれがありますが、

大体、8時台前半で、

ほとんどの場合、運転しながらNHKラジオ第一放送のすっぴんを聞いています。


前にも書きましたが、
パーソナリティーを盛り上げ、時に適度に抑える役割のアンカーを務めている、
藤井彩子アナウンサーが好きだからというのもありますが、

月曜から金曜までのそれぞれのパーソナリティーもなかなか、おもしろく聞かせてくれています。


で今日、金曜日は、
文芸作家であり明治学院大のセンセイでもある、高橋源一郎がパーソナリティーです。

今日の源ちゃんの最初のネタは、「源ちゃんの現代国語」、
高橋源一郎が気になったり、おすすめだったりする文章を紹介してくれるコーナーです。

今日、源ちゃんが取り上げたのは、
先日、亡くなったさくらももこさんのエッセイでした。


で、そのエッセイの中で、
さくらももこのおじいさんがなくなった時のことが描写されていたのですが、

これが何とも抱腹絶倒名文でした。


どうやらさくらさんとご家族の皆さんは、
このじいさんのことが嫌いだったようです。

わがままし放題のどうしようもないじじぃだったようですが、

このじぃさん、九十いくつまで長生きして、

ある夜、老衰のため、眠るように大往生を遂げたそうです。


ただし、死に顔が傑作で、仰向けのまま、口をぽかんと開けたまま、こと切れたとのこと。

まずさくらももこは、このじぃさんの死に顔を見て笑いを抑えられなかったそうです。


それから死後硬直の始まる前にこの間抜けな表情を整える必要があり、そのためにきれいな布が必要だったのですが、
亡くなったのがほぼ真夜中、
そしてその時、さくら家には、じぃさんのご遺体の表情を整えるための布が、
祭りと鮮やかに染め抜かれた手ぬぐいしかなかったらしい。

そしてじぃさんの顔をこの手拭いで整えた後、
顔にこの手拭いをかぶせておいたようです。


ご遺体が祭りと染め抜かれた手ぬぐいで顔を覆われている、
かなりシュールなお笑いネタですよね。


そしてさくらももこもももこさんのお母さんや、お姉さんも、
この祭りの文字をかぶったご遺体を見て、
また笑いをこらえるのに必死だったということが描写されていました。


ご遺体を前にして、そのご遺体の外観ゆえに笑ってしまう、
常識的には不謹慎極まりないですよね。

でもなくなったじぃさんを心底、嫌っていたももこさんとご家族は、
全く悪気もなく、笑い、弔問客が訪れるようになってからは、
必死で忍び笑いをこらえていたそうです。



僕も高橋源一郎の朗読を聞きながら、
笑いたおしましたが、


それ以上に僕が思ったのは、

こんな風に死にたいなということでした。


死んだあとはただのめんどくさい生もの、
それも結構、重い、しかもほっといたらどんどん腐乱してしまう生ものですから、

残された家族にとっては、まずは物理的に邪魔な存在でしかありません。


僕としては、
死んだのちに、めんどくさい遺体として家族にただただ負担をかけるより、

さくらももこのじいさんのように、せめて笑いの対象になって、
弔いのめんどくささを少しでも軽くしてほしいものだと考えました。


死んだ後に多くの人に悲しみを残したくはありません。

面倒な奴が一人消えたということで、ほっとして欲しいし、

一緒になんかできたことはおもろかったな、と思ってもらえれば、それで十分です。

泣いてほしいとは思いません。


僕の感じ方、おかしいですか。


嘘くさい生臭坊主に、
誠意のこもっていない経を詠んでほしいとは全く思いません。

残してしまった家族に、できる限り、楽にけりをつけてもらえればそれでいいです。
できたら、笑いもって。


死んだあとは笑われたいなと思った、今日のはじまりでした。


でも当分は死ぬつもりはありません。
いつものようにおまじないを唱えて生き続けましょう。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。