僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ちょっと思いついたけど、かなり重たい話かも・・・

飲酒歴40年、断酒歴3年と4か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、今日は重たい話のまずはイントロです・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


いきなり本題に入ります。

ふと、倅のことを考えました。

彼は、この4月に大学に入学し、
下宿生活を始めました。

大学は第一志望校ではなかったのですが、
倅曰く、将来に可能性を感じる専門分野を学べる大学ということで、
希望とともに入学したと思いますし、
僕は彼の勉学意欲については信頼しています。

ふとどうしてるのかなと考えた時に、
ま、あいつはあいつでしっかりやってるやろうと思って、
思考がそこで停止しました。

親としての最低の役割は果たせたかなと思っていますので、
今後のあいつの人生はあいつのものだと思っています。

僕は倅の将来について、信頼しているがゆえに心配していないようにも見えますが、
考えようによっては、
彼の将来は僕にとってはそれほど大きな問題ではないと思っているといってもいいかもしれません。



僕はこれまで3人、身内を亡くしています。

一番最初は、たしか、僕が36か37の時でしたが、
東京で一人暮らしをしていた3歳下の弟が孤独死という変死を遂げました。

ライターをしていた彼の死については、
現在でもネット上で暗殺説が流布しています。

僕たち家族は、
彼の死の真実を探ることよりも、
静かに送ることを選びました。

2番目は、もう、10年くらい前かと思いますが、
母親が亡くなりました。
認知症を患い、
また生来、心臓の弱かった母は、
入院したまま亡くなりました。

そして3番目は、昨年というか一昨年の、もう一人の弟の死です。
彼も孤独死でしたが、
行政解剖の結果、病死であることが分かりました。

僕はこの3人を送るにあたって、
殆ど涙を流していません。

最初の弟の死の際は、
遺体を荼毘に付し、
骨壺に遺骨を納める際に、
彼の頭蓋の一部を見た時にさすがに人の死の無常を感じ、涙が流れました。

しかし母親の死に際しても、もう一人の弟の時も、
冗談抜きで、
一粒の涙も流れませんでした。

もっと言えば、
悲しくもありませんでした。


倅の現状についてあまり関心がない僕、

身内の死を悲しまない僕、

もしかすると僕は、
人としての基本的な感情に欠陥があるのかもしれません。

このことが僕の病気と関係があるのかどうかは分かりませんが、
僕は人を愛さない人間かもしれません。


簡単に結論が出る話ではないと思いますが、
もしかすると僕は、
60にして自らの変わった性格に気がついたのかもしれません。


今日は話を中途半端なままにしておこうと思いますが、
またしっかりと考えたいと思います。


いつもの気合でいつものように締めます。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。