僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

今日は白状します

飲酒歴40年、断酒歴2年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、一応、祝?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



12月1日のこのブログでけったいなことを書きました。

その日はどうやら僕にとって良いことが起こりつつあることが分かった日なのですが、
それについて素直に喜ぶことができない、

いやむしろ、新たな足枷を課せられててしまうのではないか、

新しいパワーゲームの一部に組み込まれてしまうのではないか、

そんな不安な感覚がまとわりついて落ち着かなかったと。


今日、正式な伝達を受けましたので、報告します。


非常に歳を取ってからのことになりましたが、

仕事場での昇格人事を決めていただきました。


単純に手放しで喜べばいいのでしょうが、

いろいろと複雑な気持ちです。



僕は約20年前に、
結果として大学に迷惑をかけることになってしまった事案を引き起こしました。

その時にまずは厳しい処分をいただきました。


その処分が適正なものかどうかは、
僕にはわかりません。


でもその時の僕には処分に従う以外の選択肢はありませんでした。


処分の後、職場に復帰しました。

処分そのものは完結したはずですが、
その影響はいろんな形で僕の生活に影を落とし続けました。


その影響から自由になろうといろいろともがき続けたように思います。

そして、
甘えるなといわれるかもしれませんが、

そのもがきがアル症の遠因の一つにはなったように思います。



この場ですから、正直に書きます。


懸命に勉強しました。

不器用ながらも研究成果を積み上げてきました。


大学の先生の人事評価は表向きには研究成果を第一に判断されることになっています。


しかし僕の頑張りはなかなか人事考課に結び付けてもらえませんでした。


何も研究していない能無しのくそみたいな同僚が、先に昇格しました。

あのくそよりも俺は下か、
下にしか評価されへんのか、

そう思うと、むちゃくちゃ、腹が立ちました。


もがいてももがいても、
どこからもいい話は聞こえてきませんでした。


このまま、飼い殺し状態で定年を迎えることも覚悟しました。

そして定年後にあることあることわめき倒して、
学校をつぶしてやろうとすら思いましたした。

今でもその恨みの気もちは残っています。



今回の場合、
内示のようなもの、あるいは書類の整理を促すようなアドバイスは全くありませんでした。

ところが、先週の土曜日、
その前日の金曜日の会議で僕の昇格が審議されていたことを知らされました。


もしかすると何かの試しが潜んでいるのではないかといぶかしく思いました。

そして昇格には何か条件が付けられているのではないかとすら思いました。


それらが以前のブログの中で書いた不安定な気持ちの原因です。



今日、さらに上部組織での会議での承認も得られたということを知りました。
また、職場内で人事の公示もありました。


来年の4月から給料が上がります。

ですから喜べばいいのでしょうが、

まだ複雑な、もやもや感がぬぐい切れません。


まずは家族に伝えるべきでしょうが、

パートナーに話す気はありません。


苦労と心配をかけた二人のこどもたちには伝えるべきかもしれませんが、

迷っています。


そこで、まずはこのブログで皆さんに報告します。

4月より、教授として働きます。

(ずーっと歳食った准教授でした。)


教授になった暁には、
一層わがままに、
音楽に打ち込みます。

学生たちのためには仕事をしますが、
大学のためだけの仕事は極力、力を抜きます。

障害とともに暮らす世界中の仲間のために僕にできることを続けます。

そしてそのために断酒ライフを継続します。
ハイ。


皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。