飲酒歴40年、断酒歴2年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。
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今日、判決が出ました。
僕はもっと重い判決が下されてしかるべきだと思っていました。
というよりも検察がもっと重い求刑をすべきであると考えていました。
被告の自己中心的で思慮に欠けた判断と行動の末、
こどもたちの同席する場で両親が死に至ったのですから、
極限に近い求刑が望まれたようにも思います。
こどもたちの同席する場で両親が死に至ったのですから、
極限に近い求刑が望まれたようにも思います。
特に今回の事件、
逮捕後の被告のあまりにも幼稚で低劣な言動は、
およそ、人間としての尊厳に欠けています。
およそ、人間としての尊厳に欠けています。
そして僕は、
勝手な想像ですが、
勝手な想像ですが、
そのような被告の言動は本人の資質もあったのでしょうが、
被告の受けたであろう、教育程度の低さが反映されているようにも思います。
被告の受けたであろう、教育程度の低さが反映されているようにも思います。
ただ判断力に欠けていただけではなく、
判断するための知的資源があまりにも乏しかった。
この国の平均的な若者たちの教育的資源は下がる一方です。
常識が乏しいにもかかわらず、
主張することは大事だと教えられる、
主張することは大事だと教えられる、
そして、
今回の被告のように、
公判中の態度が判決に影響するという、ある意味で本能的な判断すらできなくなってしまう、
今回の被告のように、
公判中の態度が判決に影響するという、ある意味で本能的な判断すらできなくなってしまう、
そんな常時判断停止中の若者が社会に多く輩出されているように思われて仕方がありません。
今回の事案、
もちろん、自動車運転にまつわる問題でもありますが、
さらには、この国の教育の在り方にまつわる問題でもあると考えています。
僕たちの目の前にはだかる壁は、残念ながら恐ろしく高いようです。
酒を飲んでいる暇はありません。
ですのでいつものように