飲酒歴40年、断酒歴6年と4か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、まだまだ成長します・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
5年前、東名高速で起きた、いわゆるあおり運転死傷事故の差し戻し裁判、
今日、石橋被告に対して懲役18年という判決が下されました。
被告側は控訴するつもりのようですが、
おそらく世間の大半は、この判決を支持するものと思われます。
僕も、被告が被害者の死や損傷に直接、手を下していないこの事件について、
裁判所の判断を全面的に支持します。
事故に至るまでの彼の運転や、事故後の発言の数々からは、
石橋被告のドライバーとしての最悪な面が明らかであり、
当然すぎる判決だと思います。
しかしこの事故事案には、完全な他人事とはできない、考えさせられる面も含まれます。
自動車という道具は、
その道具としての様々な完成度の高さゆえに、
使用者に対して誤った全能感覚をもたらしてしまう傾向があります。
ハンドルを握ると人格が変わってしまうと評される人が少なくないようですが、
確かに僕たちは車の運転中に、第二、第三の人格を出現させてしまうようです。
そしてそれらの新たに出現した運転人格はほとんどの場合、
間違った自己全能感に裏付けられた、はた迷惑極まりない自己中感覚に満ちています。
僕もその例外ではないことを、正直に告白すべきでしょう。
以前にも報告したことがありますが、
僕はスピード狂ではありませんが、
割り込まれることに対して過剰なまでに反応し、
時には激高してしまう傾向があります。
また渋滞に巻き込まれたときに、
渋滞にはまってしまう選択を行った自分に対して過剰なまでに怒り、
到着時刻にはそれほどの時間差がないにもかかわらず、
遅れを取り戻すべく、無理な運転を試みることも少なくありません。
しかしこの頃、少しづつではあるのですが、
僕の中のわがままドライバー根性が遠慮を見せるようになってきました。
少しばかり他の車に先を越されたからといって、
そしてやや長めの渋滞に巻き込まれたからといって、
目的地に確実かつ安全に到着するという最終目標にとっては、
大した影響はありません。
レベル60を過ぎて、ようやくそんな当たり前のことを考えることができるようになりました。
僕の今の生活環境を考えると、
今後も自動車を運転する生活が続きます。
ご機嫌さんに運転人生を送るためにも、
断酒ライフの最大のご褒美でもある、
3C(クール、クリアー、そしてクレバー)の精神をキープしていきます。