僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

クジラの問題といただきますの気もち

飲酒歴40年、断酒歴2年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、難問です・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



難問だと思います、日本の IWC 脱退問題。

考えるためのレイヤーが多すぎて、凡人には処理不能です。


でもいくつか考えられるだけ考えてみましょう。


一つ目のレイヤー。
日本が国際的な機構から脱退するという選択について。

これはできるのであれば、避けてほしかった選択だと思います。

日本の国力は決して高くはありませんし、
ましてや、国際政治の場における日本の発言力となると、
先進国の中では最低レベル、
たぶん、BRICs 各国にも及ばないでしょう。

国際的な相互依存の中で政治的、経済的、文化的な持続性を探らなければならない国なのに、
国際的な協力機関に啖呵を切りながら背を向けるというのは、
賢い選択とは思えません。



二つ目のレイヤー。
捕鯨が日本の伝統的文化なのかどうか。

この件に関しては僕は分りません。
食料の確保ということ以外にも捕鯨の目的があるそうですが、
その今日的な意味や意義については、
当事者や関係者の皆さんの積極的な発信を待つのみです。


三つ目のレイヤー。
捕鯨は残酷で野蛮な行為か。

この問題も簡単ではありません。

この問題に絡めて、
欧米のキリスト教的文化に見られる教条主義的な押し付け性格を批判することも可能です。

欧米人曰く、
牛や豚はヒトの食料として神が創造した生き物であり、
それらを食することは野蛮でも残酷でもないが、
クジラやイルカはヒトの友として神が創造した生き物であるがゆえに、
それらを食物にすること、いやそれ以前に捕えたり殺したりすることは、
残酷で野蛮である、と。


しかしこの考え方は、
あまりにも自分勝手な、誤解の塊の人間中心主義に過ぎません。
クジラやイルカがかわいそうで、牛や豚はかわいそうではないという決めつけそれ自体が、
あまりに残酷で野蛮です。


ただしここで別の見方もあるそうです。

曰く、
クジラは死に際してとんでもない苦痛を感じる、
しかし牛や豚はそのような高度の官能はもっていない、
だって。


これも、検証不可能なむちゃな見解ですよね。


どのレイヤーから考えを進めてみても、
すっきりした結論を導き出すことが難しそうです。



そこで三つ目のレイヤーの、
欧米の独善主義に対する批判を深めることで、
当たり前だけれど、たぶん、一番大事な基本の態度を確認しましょう。


僕たち人間は、
人間だけではありませんが、
ありとあらゆる生き物を食料として摂取することによって生き延びています。

光合成もできない人間は、
動物を殺し、植物から搾取することでしか生きていくことができません。


だから僕たち人間にできることは、
感謝の気持ちを絶対に忘れずに食物をいただくことです。

いただきます、そしてごちそうさまでした、というあいさつは、
直接にはその食事を提供してくれた人に対する感謝の表現ですが、

その根本には、
多くの命のもたらしくれるエネルギーをいただくことに対する、
無限の感謝の表現があるはずです。


小さなことかもしれませんが、
いただきますと、ごちそうさまでしたを言わない奴は、
人間として、
いや、生き物として、
最低最悪の存在です。


生きていることに感謝します。

そして僕たちが生きていることの基礎には、
断酒ライフの継続があることを忘れないようにしましょう。


皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。