僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

なぜ、飲んでいたんだろう(再再再再?)?

飲酒歴40年、断酒歴3年と3か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、原点を振り返ろう・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。



この頃、いろいろなことが無事に過ぎていき、
ちょっと怖いです。

何か良くないことの前兆でなければよいのですが。



さて、なぜ、体と心を壊してしまうほど、酒を飲んでしまったのか、
また振り返ってみましょう。



僕は10代に酒を飲み始めました。

高校生の頃、
集中して受験勉強を終えたのちに、
ウィスキーをなめながらレコードを聴くことを何よりもの楽しみにしていました。

酒を飲みながらレコードを聴くことで、
音楽の魅力が増したような気になっていました。


大学生になると、
一人暮らしの気楽さもあり、
安アパートの万年床で、
枕元にラジカセを置いて、
安いウイスキーを飲みながらFM放送を楽しんでいました。

その頃には毎晩、間違いなく飲んでおり、
習慣飲酒が完成していました。


大学院生の頃も、
昼間、みっちりと研究に集中し、
いわばそのご褒美として寝酒を楽しんでいました。


いずれの場合も、
当たり前といえば当たり前ですが、
酒を飲めば、快い酩酊に浸ることができました。

僕の場合、ズバリ言えば、
この酩酊に浸ることが目的で酒を飲んでおり、
美味しい酒とは、
いやな後味を引きずることなく、
適度な酩酊をもたらしてくれる飲み物のことでした。



さてこの僕の飲み方ですが、

ようやく最近になって気がつきましたが、

要は神経の錯覚を起こさせることによってもたらされる快楽のための行為でした。

つまり、飲料としての酒ではなく、


明らかに異常な精神状態をたやすく引き起こす薬物としての酒を飲んでいたに他ならなかったのです。


グルメの対象としての酒や、
文化的なたしなみとしての酒の楽しみに浸っていたような勘違いをし、
堂々とその勘違いに起因する誤解を偉そうに語っていましたが、

何のことはない、

精神に異常をきたす薬物の摂取について、
人のふんどしを借りながらむきになって正当化を図っていたわけです。

僕は、強い依存性をもたらし得る薬物をひと時の快楽のために、
あとを顧みず、せっせせっせと体に流し込んでいたのです。


ようやく酒が立派な薬物であることに理解がいたりました。

薬物として立派であるという意味では、もちろん、ありません。

どんな理屈や御託を並べようと、
酒は潜在的な危険性をはっきりともった、

ヤバい薬物だったのです。


薬物の危険性を自覚するために、
40年の時間と、
大事な臓器の犠牲と、

そして精神の一部分の損壊を引き起こしてしまいました。

これだけあほみたいに損をしたのですから、

今後はそれに見合うだけの幸せをゲットしなければなりません。

僕たちアル症者は、幸せにならなければならないのです。


罪悪感はしっかりともちながら、
でも前を見なければなりません。

そう、そのためにもいつものように


皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。