僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

何やねん!スマホって!

飲酒歴40年、断酒歴3年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、時代遅れ万歳・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


これまでも何回か報告してますが、
僕はスマホを所有していません。

当分、所有するつもりもありません。


スマホに関してはほぼ、はじめ人間ギャートルズです。



僕がスマホを所有しない理由ですが、

1)必要を感じていない
2)ですので費用がもったいない

という2点が根本的な理由です。

必要を感じていないというのは、
使っていないから必要を感じていないとも考えられます。

例えばスマホGPS機能を使った位置情報をもとにしたサービス、
知らない土地なんかでは便利なのかもしれませんが、

知らない土地で紙情報を見ながらああでもない、こうでもないと迷うのもまた楽しいものです。

電車の乗り換え情報、

大阪に住んでいる娘も倅もよく利用しているようですが、

アプリによっては必ずしも最良の解を示してくれるわけでもないようです。


スマホ決済、
それほど買い物をするわけでもないので、
要らんでしょう。


いずれにしても現在の僕の生活の中で、
スマホがあったらなぁと思う場面は、まずありませんし、
当面は必要になるやろうなという見通しもありません。


そして僕がスマホを所有しない理由はもう一つあります。

そしてこの理由の方が重要かもしれませんし、
僕自身の研究ともかかわる部分です。


殆どの方にとっては当たり前のことでしょうが、
皆さん、ちょっと手が空くとスマホを開けて何やら画面を注視しますよね。

駅のホームや電車の中でよく見る光景です。
殆どの人が一生懸命、スマホのちっちゃい画面をのぞき込んでいます。

高齢者ほど、眉をしかめながら、辛そうに眺めています。
(つらそうに見えます。)


僕には、この風景が理解しがたいし、
そのような風景の一部分に死んでも加わりたくないと思います。

何故か。


スマホを凝視するヒトは、
生き物としてのヒトがもっている様ざまな能力を、わざわざ、放棄して、
小さな画面にすべての判断力を集中させます。


耳があるのに、周囲の音は聞かない、
鼻があるのに、空気のわずかなにおいの変化に全く気がつかない、
鋭敏な触覚官能がありながら、こちらを駆使しての空気の変化する情報もキャッチしようとしない。

そしてあっちゃこっちゃに向けることができ、
その性能を活かして静止画像的な視覚認識のみならず、
動画像としてのダイナミックな視覚認識も可能な目の多様な性能を放棄し、
ホンマにちっちゃな画面だけを注視する。


こんな行動特性を見せる生き物を僕はヒトとして認識しません。


スマホには、
ヒトのヒトとしての能力を放棄させる、恐ろしい仕掛けが仕組まれており、
殆どの人がその仕掛けの罠にはまってしまっています。

情報が得られるというだまし言葉に乗せられて、
自分の周囲にある、自らの生存そのものを左右しかねない根本的な情報はシャットダウンしてしまう、


そんな生き方をしている人たちを見ると、
僕はその仲間には入りたくないし、
そのために携帯型の地獄直通どこでもドアはいらないのです。



もちろん、最近のスマホの性能の高さは知っていますよ。

カメラ機能に関していえば、
下手な一眼レフカメラよりも性能がいいうえに使いやすそうです。

携帯型ゲーム機としても、携帯型音楽プレイヤーとしても、
かつてのオリジナル製品よりも高性能です。


でも、人間を人間以外の生き物にしてしまう、
地獄直通どこでもドア、
やっぱ、いりません。


僕の時代遅れぶりは、ちょっと根性が入ってますよ。

でも、この時代遅れマインドは、継続させます。
元気よく。


ではいつもの宣言です。

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。