飲酒歴40年、断酒歴4年と1か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。
本日もリスボンの、実は予想していました・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日は僕の勤務する大学の卒業式でした。
会場は大津市内の有名ホテル、
例年ですと、
卒業式、学科ごとの懇談会、
そして卒業パーティーと続きますが、
今年はパーティーは中止されることが決まっていました。
そして式本体も、時間を短縮しての開催だったようです。
なぜ「だったようです」と伝聞形にしたかといいますと、
タイトルにも記しましたように、僕は式を欠席したからです。
会場のホテルにはいたんですよ、出席するつもりでしたから。
噺は1週間ほど前の教授会に戻ります。
その教授会で、卒業式に関する開催次第が配布されまして、
その中で、
出席者は新型コロナウィルス感染予防のための処置をとるように指示されていました。
そしてその指示の中に、マスクの着用も含まれていました。
その時からいやな予感はしていました。
そして今日、会場に入ろうとすると、事務職員さんから、
マスクを着用するように指示があり、持参していなければ配布すると言われました。
僕はこの事態を何となく予想していましたので、
それほど感情を動かすこともなく、
マスクの着用が会場への入場の条件かどうかを尋ねたところ、
そうだという答えだったので、
出席を見合わせることを伝え、
会場と同じ階のロビーに移動しました。
僕がマスクの着用ならびに配布を拒否した理由は、大きくは二つあります。
一つ目。
多くの専門家が、マスクの着用は感染防止にはつながらないことを明言していること。
二つ目。
少なくとも国内ではマスク不足が続いており、
本当にマスクの必要な人たち、
それも、マスクの着用が当人や誰かの命にかかわるような人たちへの供給にも、
影響が出かねない状況が続いていること。
特に僕が深刻に考えたのが二つ目の理由です。
社会全体の勘違いによってマスク不足が深刻な状況になっている、
それにもかかわらず、
知の最前線に位置すべき大学が率先して大量のマスクを購入している、
僕はこの点については、納得ができません。
何となく予想はしていたので、騒ぎを起こすようなことはしませんでしたが、
研究者としての僕の矜持に関わることなので、
中途半端な妥協はできませんでした。
研究者としての僕の専門は少々、散らかっているので説明しにくいのですが、
僕の関わっている研究領域は大きくは二つあります。
ひとつはデザイン理論であり、
生活に密接にかかわる造形としてのデザインについて、その理論的な背景について考えてきました。
そしてもう一つは障害学であり、
障害や障害者という存在について、社会学的な視点を中心に考えてきました。
今回のマスク不足とそれに対する大学の対応については、
どちらの観点からも批判的に考えざるを得ません。
今多くの人びとが、マスクという生活ツールの本来の機能や意味について、
冷静さを欠いた社会群衆心理によって誤解しています。
そしてそのことが、医療や社会福の分野に少なからぬ悪影響を及ぼしかねません。
社会的な危機に対して多くの人びとが不安から誤解を重ね、
さらに不要な危機を呼び起こしている、
そんな連鎖の中に僕は参加したくありませんでした。
もちろん、僕の抵抗なんて、
へのツッパリにもなりませんし、
僕も当面は、大きな声をあげるつもりはありません。
しかし、少なくとも僕自身は、同調圧力に同調するという態度はとりたくなかった。
幸いにも式の前後に、何人かの学生諸氏とは、
話もできましたし、彼女・彼らのスマホの中に収めてもらう事もできました。
僕の卒業は4年先ですが、
今年の僕のちっぽけな反乱は、それはそれで思い出に残るかもしれません。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。