僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕の素朴な見立ては案外、正しかったかも

飲酒歴40年、断酒歴4年と2か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、今日はまじめに・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日も新型コロナウイルス問題についてです。

 

先日発表された緊急事態宣言ですが、

一点、疑問な点がありました。

それは宣言の対象地域とされた都府県なんですが、

京都と愛知が含まれていなかったことです。

 

人口密度や感染者の増加傾向の分析等から判断された結果だと思うのですが、

大阪と兵庫が入っていて京都が外れているというのが、

何とも腑に落ちませんでした。

 

しかし今朝、起き掛けにふと納得できました。

なぜ京都が含まれていなかったのか、

僕が10年ほど前に書いたいくつかの論文の結論とも合致していたのです。

ただし、名古屋については少しばかり疑問が残る結果にはなります。

 

10年ほど前、僕は、大都市という生活空間についての、

生活者の意識上の特性を抽出する考察に取り組んでいました。

その中で、大都市の定義についても一つの試論を提示しました。

僕の提案は、

総人口や人口密度、あるいは昼間人口と夜間人口の差といった、

数量に基づく定義ではなく、

空間のハイパーリンク性という概念を提唱し、

大都市とは空間のハイパーリンクが網の目状に広がった場所であるといったものです。

 

分かりやすく言いますと、

人びとが移動する空間が、

本来の大地の凹凸とは無関係に、

地下空間から高層建築空間にまで縦横無尽に広がり、

しかも人びとの多くがその位置関係を物理的には認識しなくなっている場所、

それこそが大都市である、

地下鉄や地下街が地下に広がり、

地上には想像を絶した構想空間が連なる、

そして人びとはそのような複雑怪奇な空間の連続を、

その複雑さを認識することなく動き回る、

そんな場所が大都市である、

そんな定義です。

 

今回の緊急事態宣言の中心になっているのは、もちろん、

東京と大阪です。

どちらの街もそのまん真ん中では人びとは傘がいりません。

地下や空中の人工的な密閉空間を行き来するだけで、

人びとの行動空間が完結します。

京都にも地下街や高層建築はありますが、

ホンマにごく一部だけです。

つまりコロナウィルスは、

密閉された空間の中を行き来する多くの人びとの間で感染の輪を広げて行ったのです。

地下と地上を自由に支配してしまった大都市、

人びとは空間を征服したつもりになっていましたが、

しかし同時に自分たちの行動範囲の特殊性によって、

新たな培養空間を作り上げていたことにもなりそうです。

 

もともと、ど田舎で育った僕は、

都市に対してやっかみに基づいた敵対心をもっていましたが、

そのど田舎根性は、案外、有効な見方を導き出したんじゃないかなと自負しています。

 

今、世間では、とにかく家にいろ、ステイホームと叫ばれていますが、

大都市の三密を代表するハイパーリンク空間と無縁な地域で暮らす僕たちは、

少しばかり割り引いて理解してもいいんじゃないかな。

社会全体が引きこもる、絶対に無理だと思います。

 

という訳で、という訳でもありませんが、

日曜日に大津のとある喫茶店で予定されているライブ演奏は、

時間帯が昼間であり、

店内の窓を開け放すこともできますし、

確実に三密を回避できますので、やります、ハイ。

今回のライブのテーマは、

70年代のジェイポップ、隠れた泣ける名曲、ということで、

僕自身が歌っている途中で泣きそうになる曲を中心にご披露する予定です。

 

ではいつもの気合、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。