飲酒歴40年、断酒歴5年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、死と隣り合わせの恐怖・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
本日(12月17日)、大阪、西梅田近くの雑居ビルで、悲惨な火災事故が起きました。
放火事件の疑いもあるらしいのですが、
今現在(午後7時)、詳しいことは分かっていないようです。
写真は今日の火災現場のモノではありませんが、
東京や大阪の商業施設密集地域の典型的な風景の一つだと思います。
僕はこれまで、大都市に暮らしたことがありません。
学生時代は、京都で一人暮らしをしておりましたが、
上高野、岩倉、そして沓掛と、いずれも京都の中心部からはかなり距離のある、
郊外で暮らしていました。
現在の棲家は、住居表示では大津市ですが、
人里離れた、山の中です。
都市部での暮らしに憧れることはあります。
音楽や美術に携わる身としては、
それらの活動にとって都市部へのアクセスの良さが有利であることは知っています。
でも僕は、商業空間へのアクセスという利便性よりも、
より自然に近い、静かな環境を選んできました。
今回の事件の報に触れ、改めて都市空間のもっている危険性を確認しました。
都市部の暮らしが便利なのは、
様ざまな施設が比較的、小さな範囲に集中しているからですが、
その便利さを実現するために大都市の中心部では、
活動空間が上下に広がり、そして空間の細分化が行われてきました。
細分化された空間が縦横無尽に連結された場所、
それが大都市の中心です。
細分化された空間を連結させ、個々の空間の独立性を担保するために、
大都市では空間の想像を超えた密集が招来されました。
そしてその密集状態は、ひとたび緊急事態が生じると、
おそらくは阿鼻叫喚の地獄絵図を実現させてしまうと想像されます。
今回の事件は、昼間の医療施設が現場でした。
これが夜間の飲食施設、
それも酒類の提供を主な業務とするような施設が密集した雑居ビルで起こったとすれば、
そこで展開する地獄絵巻は悲惨を究めることになるでしょう。
避難するための経路や空間は夾雑を究め、
しかも避難しようとする人の多くが、
薬物の摂取により通常の判断機能と運動機能を欠いている、
死に直結する生き地獄が現前することになるに違いありません。
大都市とは、便利さと快楽の追求のために、
安全の担保という生きるための基本条件を犠牲にした空間かもしれません。
やはり僕は、人里離れた山の中で、
薬物を摂取しない生活を続けていくことになると思います。
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。