僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

遠隔の時代の功罪?

飲酒歴40年、断酒歴4年と5か月、不良初期高齢者、リスボン、61歳。

本日もリスボンの、みんなで実験くん・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日は6月24日、

例年であれば、さぁ、大学も前期の授業の山場を迎えるべぇ、

と気合いの入る時期なんですが、

今年は新型ウィルス感染症のため、

前期の授業がなし崩し的に始まってしまい、

色々な意味で季節感というか、時期のけじめ感みたいなものがぼけています。

でも、6月ももう終わるんですよね。

 

昨今の大学の先生方は昔と違って、

教育熱心な方が多いので、

Facebook 上では、3月くらいから、

遠隔教育の時代の大学の授業運営について情報交換をするグループが結成され、

以来、ずーっと活発な意見交換がなされてきました。

僕も、完璧に見るだけで、書き込みは全くしませんが、

比較的、早い段階から参加していました。

 

ホンマ、皆さん、まじめですよ。

こんなアプリケーションを使うと、

ゼミの運営にこんな利点が生じるとか、

授業運営上のいろいろな問題点について互いに解決法を提案し合ったりとか、

さらにはその成果について互いに詳細な報告を上げてくれたりとか。

ホンマ、頭が下がります。

 

ただ最近になって、極論にも聞こえますが、

しかし本質をずばりとえぐるような主張もなされるようになりました。

「オンラインで授業はできても、教育はできん!」というのが、

その主張です。

ある意味でそれまでの多くの先生方のまじめで熱心な議論に対して、

ちゃぶ台返しかますような、過激な発言です。

その根底にあるのは、

教育の根本を支えているのは、人間同士のぶつかり合いであり、

そのぶつかり合いの土俵として、

Face to Face 、つまり対面でのやり取りに勝るものはないという、

人間存在の本質に迫るような、本能的な感覚でしょう。

 

僕もこの見方に近い感覚をもっています。

最近、何回か報告しましたように、

教室での面と向かってのやり取りは、

その即時的効率性のみならず、

互いの思いを直に感じ合うことができるという、

何にも代えがたい魅力に満ちています。

若者たちとの笑顔を交えての真剣勝負は、

まさに教育という業務に携わる者にとって、

まさに勝負の場であり、

さらには他の職能では得られない、最高のご褒美の場でもあります。

 

ただ一方で僕も、

オンラインならではの可能性についても、

おもしろそうだなと感じてきました。

僕のオンライン授業は極めて原始的かつ乱暴で、

講義の動画を YouTube にマルっとアップして学生に視聴させ、

出席確認の意味もかねて、簡単なレポートをメイル送信させるというものです。

Zoom だとか Meet だとかといった、即時的な双方向性をもった、

ご立派なアプリケーションは、全く使っていません。

でもそんな原始的なオンライン授業でも、

対面形式の講義とは異なった展開や成果が見込めそうな予感がしています。

まだぼやっとした予感ですけど。

 

そこで、ここ1週間ほど考えてきたのですが、

新しいテクノロジーに無理して合わせる必要もなければ、

意固地になって抵抗する必要もなく、

今できること(もしかするとしなければならないこと)に自然体で臨み、

自分の取り組みだけではなく、いろいろな人たちの取り組みについても、

あくまで進行形の事象として観察し、

最善の結果を急ぐことなく、このドタバタを面白がるのが、

一番、僕には合ってそうです。

 

結論を急ぐことなく、当事者でありながら観察者としてもふるまう、

まさに僕が僕自身の脱領域的な研究生活の中で見つけてきた、

脱構築的な思考を活かす時なのかもしれません。

 

この辺りの無謀な積極性こそ、ADHD 気質のもたらしてくれる、

最大の長所にして欠点でしょうね。

ハイ、新しい時代の新しい?思考方法を探るために、

自爆テロ(笑)をかまします。

思考のテロリストは、でも健康に生き続けますよ。

 

という訳で

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。