僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

社畜の表明

飲酒歴40年、断酒歴5年と5カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、これはこれで納得?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

3日前(6月25日)の当ブログで、

大学の会議がいかにカッタルイかについて、

少し具体的なことを交えて紹介しました。

 

参加者全員が、いかに細かいことを考え、万全を期しているかを装うために、

こどもでもすぐに判断できそうな事柄も、

会議での了承事項として確認をとろうとします。

 

その場に同席していると、

ホンマにブチ切れそうになります。

もしここが民間の営利追求企業で、

僕が出資者兼経営者だったならば、

 

何をつまらんことに時間をかけとんねん、

他に話し合うこと、工夫し合うことはあるやろう、

お前ら、給料泥棒か、

 

と、机をしばくなり、椅子をひっくり返すなりといった、

若干、ハラスメントっぽさも含んだアクションとともに、

大声を上げることでしょう。

 

 

今朝、おばワンチャマとの散歩中に、

なぜ大学の会議はかくも非生産的なのか考えていましたが、

突然、ぱっと閃いてしまいました。

 

みんな、会議の最中は、

自分が社畜であることを一生懸命、表明しているんです。

大学ですから社畜とは言えませんが、

少し長たらしくなりますが、

学校法人蓄くらいが正確な表現になるかな。

 

どうもこの国の人たちには、

自分が所属している集団の「畜」になることが奨励されているようで、

若者の規範であることが求められるかもしれない、

僕たちの職業においても、

集団「畜」、学校「畜」、そして経営母体としての法人「畜」であることが、

必要らしいですね。

 

僕は大学の教員は、

教育「畜」だったり、研究「畜」であるべき職業で、

若者とかかわったり、

理屈をこねながら、その理屈を実践の場で確かめることに対して、

向いているだろうなと思っていたので、

天職だと思っていました。

 

しかし卒業(定年退職)が近づくにつれ、

自分の職業について、嫌な部分にも目が行くようになってきました。

そして、会議という、

どうやらこの国ではとても重要な職業貢献だと思われている行為に対して、

理屈だけでは語りつくせない嫌悪感を感じるようになってきました。

 

おそらく、まじめな日本人の感覚からすれば、

僕の不満は、単なるわがままということになるんでしょう。

でも、ディアスポラとしての自覚を強く抱くようになった今、

日本人的な感覚も、かなりずっこけていると思えるようになりました。

日本人の多くは、何らかの集団の「家畜」になることが好きなようです。

安心するんかな、家畜になることで。

 

でも僕は、社畜にも、いかなる集団の家畜にもなりたくない、

僕は僕です。

僕が僕であることを一時的であれ、放棄することを要請する業務、

それが日本的な会議なんでしょうね。

 

このふざけた理解法を見出したことで、

僕はかなり、気もちが楽になりました。

僕のワガママは、決して全面的に悪いわけではなさそうです。

日本人的な望ましいふるまいにも、

おかしなところがあるようです。

 

僕たちは、わきまえつつも、わきまえない心構えが必要なんじゃないでしょうか。

 

生き延びるためのワガママを究めるためにも

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。