僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

19歳の僕はすでに使用障害だった?

飲酒歴40年、断酒歴5年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、問題発言かも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

毎日、ピアノと歌の練習にかまけながら、

これまでの研究活動に、

在日コリアンディアスポラとしての経験や、

アルコール使用障害発症者としての経験を加味しながら、

この閉鎖的な社会の中で、

いかに真の多様性の意義を訴えていくかについて考えています。

 

日本社会で暮らしていると、

民族や人種の多様性について実感する機会が少ないため、

この国で多様性について真剣に議論するのは、かなり困難が伴います。

さらにいえば、この国はおそらく世界でも類を見ない、均質性を重んじる社会でもあり、

多様性に関する議論を一層、難しくしています。

 

とりあえずは、11月に行うことになっている、市民対象の人権啓発学習会での講演のために、

いくつかの論文を精査し、

また YouTube 上に公開されている、海外での様ざまな講演会の動画をチェックしていきましょう。

 

このブログでも、使用障害発症当時の僕の異常な行動について触れてきました。

今日も久しぶりに、飲酒者だった時の僕の行動や心理状態について考えました。

そしてふと、19歳、大学1年生の頃のとあるエピソードを思い出しました。

 

僕は大学時代、軽音楽部に所属していました。

現在の僕は、ピアニストであり、ヴォーカリストですが、

大学1年生の頃の僕は、サックス奏者でした。

大学の軽音楽部では、主にジャズを演奏していましたが、

高校までの吹奏楽の経験を生かし、

近くの大学の応援団吹奏楽部のエキストラも掛け持ちしていました。

 

僕の所属するサークルの定期演奏会の打ち上げの会場でのことです。

エキストラとしてお手伝いに行っていた他大学の吹奏楽部から僕宛に、

日本酒の差し入れがありました。

大学のサークルという、疑似的な上下関係社会では、

下級生への届け物は、自然とサークル全体への届け物と認識されることになりますが、

僕は打ち上げの席で、僕に日本酒の差し入れがあったことが公表されたときに、

それをサークルに提供することを頑強に拒否しました。

むちゃむちゃ、生意気な1回生です

上回生の中には、露骨に怒りを表明する先輩もいました。

しかしとある先輩の、僕の強情さに対して、

こいつは救いようのない、どうしようもない奴だからほっとこうという、

あきらめの表明によって、僕のワガママは通ってしまいました。

 

その時の僕の頭の中に去来していたのは、二つほどの生意気な思い上がりと、

そしてもう一つの、おそらくは深刻な病的精神でした。

 

思い上がりの一つは、

僕は僕の演奏活動の対価として酒をいただいたのであり、

それをサークルに拠出しなければならないいわれはないというものでした。

そしてもう一つの思い上がりは、

1年生にしてすでに、プレイヤーとしての技能は、

殆どの先輩を上回っていたという自負でした。

とてつもなく嫌な自負ですが、しかし、僕の演奏技術が群を抜いていたのは事実でした。

 

そして僕が抱えていた病的な精神とは、

僕がもらった酒を、絶対誰にも渡したくはない、

これは僕が飲むための酒だという、

殆ど生理的な独占欲でした。

気の置けない友人と一緒に楽しむのであれば、それは別ですが、

なぜ、サークルのために僕の獲得品を提供しなければならないのか、

先輩たちを前に、一応、ニコニコと気もちを表明していましたが、

僕の心の中には、絶対にここだけは譲らん!

という、情熱の炎が燃え上がっていました。

 

この19歳のくそ生意気なガキは、

ただの酒好きだったのでしょうか。

自分の技能ゆえに人との和を軽視する心の狭さは、もちろん、許しがたいものでしょう。

しかしそれ以上に、このガキの酒に対する執着は、異常だったというべきです。

もしかすると19歳の僕は、すでにアルコール使用障害当事者だったかもしれません。

いや、あり得ないことだとは思いますが、

先天的なアルコール使用障害当事者だった可能性も疑うべきかもしれません。

 

先天的な使用障害、あり得ない話ですよね。

でも、もしかするとと思ってしまうほど、

19歳の僕は、おかしな、そして嫌な奴だったようです。

 

今では、使用障害とも共生しています。

共生のポイントはただ一つだけです。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。