僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

二項対立化という自己保身本能

飲酒歴40年、断酒歴5年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル62。

本日もリスボンの、今日はちょっと哲学的に?ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

Dichotomy という言葉があります。

少し翻訳しにくい言葉で、

辞書では、二分化、あるいは二叉分枝といったような、

分かったような分からんような、

聞いたことがあるような無いような、訳語で紹介されます。

 

日本語には訳しにくいようですが、

現代思想社会学に関する論文や批評を読んでいると、

割とよく出会う言葉です。

 

要は人間は、人びとを分類するときに、

一方と他方という、二つに分けたがる傾向があり、

特に自己を含む、社会学的対象としての人びとについて考えるときに、

そのような傾向が強まるらしいです。

 

例えば、現在も世界中で大きな問題を投げかけている人種の問題ですが、

アメリカでは、白人と非白人という括りで考えられることが多いそうです。

非白人には、アフリカ由来の黒人や、南米由来のヒスパニック、

そしてアジア由来の人びともあり、多様なはずですが、

アメリカ人は自己を中心に考えて、白人と非白人、

あるいは非白人の代表として黒人を取り上げ、

白人と黒人という区別に単純化して考察してきました。

 

要は、自分が所属する人たちと、

自分とは異なる人たちという、対立事項の設定ですよね。

自分が所属する集団を重視し、そこへの帰属に自らの生存の根拠を求める、

多分に原始的ですが、しかしある意味で本能的な捉え方ともいえるでしょうね。

 

しかしこの Dichotomy に基づく社会の捉え方は、

ほとんどの場合、社会的な苦痛を招来するようです。

二項対立の人数バランスは大抵の場合、

多数と少数に分かれます。

そしてその場合、多数派による少数派への支配、あるいは抑圧が起こります。

対立する二集団の数が均衡している場合は、

おそらく、内戦状態になってしまうでしょう。

 

ところが面白いことに、

自分たちとそうでない人たちという区分けをやめて、

3種類以上の集団を措定してみると、

単純な支配・抑圧関係や、内戦状態ではとらえきれない、

複雑な様相が出現する可能性があります。

つまり、自分たちとそうでない人たちという単純な分け方が内包している幼稚さを放棄し、

世の中は Dichotomy で片づけられるほど単純ではないことを知り、

複雑な社会認識が要請する多次元的な思考法や感じ方に潜んでいる、

新たな可能性に意識を向けることにより、

これまでにはなかった、ダイナミックな共生社会のあり方が見えてくるかもしれないのです。

 

身近なところでいえば、

男性と女性という、性差における Dichotomy の限界を認識することで、

LGBTQ が何ら特別な存在ではない、新たなジェンダー社会の可能性について考えることができます。

 

Dichotomy という、

一見、当然のもののように思われる自己認識ならびに社会認識法に、目を向けることで、

僕たちの社会はかなり新しい姿を見せてくれるはずです。

 

話は少しややこしくなり、また特にこれといったオチもないのですが、

今日は勉強しながらこのことに気がつき、

僕自身は、ムチャクチャ、興奮してしまいました。

 

そして今、日本社会が陥っている閉鎖性を打ち破るためにも、

自国民でも移民でもない、

日本人でも外国人でもないかもしれない、

僕たち、在日コリアンディアスポラが果たす役割は、

今後、大きな意味をもつような気もしてます。

 

やっぱ、僕は死んではあかんのです。

もちろん、皆さんもですよ。

 

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで、

LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。