飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、老後への見取り図・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
この頃、時々、耳にする言葉に、陰キャ、陽キャというものがあります。
陰気なキャラクター、陽気なキャラクターといった意味でしょうね。
若者たちが、自らや他者のアイデンティティーを手っ取り早く説明するためによく使うようです。
人間性を陰気と陽気という、あまりにも無邪気な二分法で理解しようとする、
考えようによっては、
現代人が深く思考することを放棄するようになっていることを如実に表しているようでもあり、
あまりお勧めできない考え方だと思います。
お勧めできないのですが、それでもこの考え方に従って僕を分析してみると、
多分、陽キャととらえられることになると思います。
たしかに暗く振舞うことは少なく、
ADHD気質特有のノリで、受けねらいのイチビリ発言も駄々洩れです。
でも本当に僕が陽キャに分類されるのかというと、
僕自身の内面を一番知っているはずの僕の観点からは、
陰湿な面も少なくない、陰キャとしての側面ももっていると思います。
特に家族関係ということでいえば、おそらく僕は孤独です。
時々、報告していますように、
僕とパートナーの夫婦関係は、
精神的には完全に崩壊しています。
一緒の空間で生活していますが、会話はほぼありません。
土地と家屋という固定資産によってともに縛られているだけの関係です。
こどもたちはそれぞれ、経済的にも人格的に独立しつつあります。
長女は社会人としての自立を果たしましたし、
倅もおそらく就職を決めてしまうことでしょう。
娘や息子とは、それぞれに細々とした気もちのつながりはありますが、
共依存状態にはなっていません。
そして僕のもう一方の家族の方は、
もうすぐ、跡形もなくなります。
弟二人は、それぞれこの世にはいませんし、病気がちであった母親も順当にあの世に行きました。
そして時々、報告していますように、父親は長生きしていますが、
睡眠薬使用障害に陥っております。
ずばり、正直に書きます。
あのくそじじいには、早くあの世に行ってほしいと思います。
パートナーの親戚とは、もちろん、形式的なつながり以外には無関係状態といっていいでしょう。
父親に連なる親族とは、ほぼ連絡関係は途絶えました。
おそらく僕は、親族・家族との関係においては、もうすぐ、孤独になります。
寂しいとは思いません。
ただ、それはそれでつまらないだろうなと思うので、
直接的な身の回りの孤独を楽しみつつも、
全く別の人脈のつながりの中に自分の居場所を確保する必要はあるでしょう。
何となくですが、現在、レベル63の僕にとって、
レベル70に到達する前に、新たな関係への入り口を見つけることが重要な課題のようです。
そしてこの秘密の入り口は、僕自身がうろうろしないと見つけられないと思います。
幸いにも僕には音楽があります。
僕の60代の人生は、
社会的なアイデンティティーの終了の中で、
もう一つのアイデンティティーを確保するための準備期間だと思います。
考えてみれば、ホンマに酒なんか飲んでる暇はありませんね。
断酒サバイバーとして生き続けられていることに、改めて感謝です。