僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

タワマンのこと

飲酒歴40年、断酒歴6年と8カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、たまには縁のない話・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

何となくですが、これまでの僕の住居歴を振り返ってみます。

 

小学校入学以前の僕は、空き地を隔てて1軒しかご近所のない、

道路沿いの古い借家に住んでいました。

1階は土間で、おふくろは煮炊きをそこで行っていました。

風呂はもちろん、銭湯通いでした。

 

小学校1年生から中学3年までは、

おやじの兄弟が共同経営していた土木会社の平屋建て倉庫に引っ付いていた、

今風に言えば2DKの家でした。

中学3年の時にこの倉庫兼住宅を建て替え、

高校時代はこの、当時としては大きめの2階建ての家に住んでいました。

 

大学に入学してからは、京都は洛北の最果ての地、岩倉の4畳半の安下宿、

大学院を終え、非常勤講師とピアニストを兼業するようになってから、

少しづつ広めのアパートに移り住むようになりました。

 

18歳から34歳まで、京都市に住んでいましたが、

常に京都市内でも辺境に近いような地区を選んでいました。

当時の僕は、街中に暮らすということが考えられなかったのです。

 

一番大きな理由は、僕が人声を中心とした音に対して、過敏に反応してしまうことでした。

水の流れ等の自然由来の音は気にならないのですが、

自動車の騒音や人の話し声はどうしても意識の中から消し去ることができませんでした。

 

結婚してからも、どちらかといえば街中ではない地域に暮らしています。

そして最期の棲家と決めた今の家は、ホンマに山の中にあります。

一軒家ではありませんが、隣は別荘ということで普段は人がいません。

 

買い物等はかなり不便です。

そして子どもたちは二人ともこの家に住み戻ることはないでしょう。

 

でもこの家に住み続けることと思います。

ローンの返済も終わりましたことですし。

 

 

ということで、タワマン、まったく僕の人生には縁のない概念であり、単語です。

でも大都会のタワマンの上層階に住んで、夜景を楽しむなんてライフスタイルには、

少しだけあこがれる部分もあります。

それがニューヨークだったり、香港だったりしたら、カッコええわなぁ。

 

タワマンについて、少し興味深い記事をネットで見つけました。

タワマン暮らし、いろいろめんどくさいこともあるようですが、

今日見つけた記事では、

高齢者にとってタワマンでの生活が、

心身ともに大きなダメージをもたらし得ることが書いてありました。

 

タワマンの上層階の住人は、外出する機会が極端に少なくなり、

その結果、都会の真ん中にいながらも精神的な孤立状態が深まり、

そして運動不足から深刻な身体の健康障害に陥る可能性が高いというのです。

 

素晴らしい眺望を楽しむことのできるタワマンの上層階の住人が、

心身ともにダメージを負いやすい、

その原因はエレベーターにあるんだそうです。

 

上層階の住人にとって階段で地上階まで下りていくことは、

僕のような変態的階段好き以外には、あり得ない行動ですよね。

そして上層階からエレベーターを使用する場合、

エレベーターが途中階での停止を繰り返し、

そしてそのたびに新たな乗降者が乗ってくるため、

時間もかかるので、利用が徐々に億劫になってくるというのです。

 

なるほどな、と思いました。

タワマンのような巨大集合住宅の場合、

住民のほとんどは、知らない人です。

形式だけの会釈くらいはするでしょうが、

会話が交わされるということはないでしょう。

 

自分の住居でありながら、

途中で逃げることのできない密室に赤の他人と一緒にいなければならない環境、

しかもこの環境的拷問を恒常的に受け入れなければならないライフスタイル、

これはたまりませんよね。

 

あこがれのアーバンライフの象徴かもしれないタワマン暮らし、

でも、最先端の暮らしは、それゆえに最も非人間的な暮らしを強いられるのかもしれません。

僕は比良のふもとで、静かに朽ち落ちていく生き方を選びます。