飲酒歴40年、断酒歴6年と9カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。
本日もリスボンの、昭和男の雄叫び・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
僕はやったことはありませんが、
ネット上の動画や録画した映画やドラマ作品等を、
再生速度を速めて観る楽しみ方?が、
特に若い衆の間で流行っているというか、ごく普通に行われているそうです。
それから最近の若者たちは、人前でディスられることはおろか、
人前で褒められることも嫌がるんだそうで、
このことに着目された金沢大の先生の著書が注目を集めているそうです。
いずれも20世紀の汚物、もとい遺物にとっては理解しがたいことですが、
ネット上のとある記事によると、これら二つの現象は、
どうも根っこは共通しているようで、
要は、学校教育も含めた、最近の大人の、若者に対する接し方に根本的な原因があるとのこと。
曰く、若者たちは集団の中で突出することを最も嫌い、
常に埋没しながらの安定を望み、
その安定を得るためのテンプレートの探求に努力を払ってきたということだそうです。
そして学習の現場では、
考えるという行為そのものの意味を重視することなく、
ひたすらテンプレート的な観点での正解を暗記することが勉強であると思い込んできたらしい。
僕は美大で仕事をしていますので、
このようなテンプレ至上主義とは距離を置いた若者たちと接していると思いますが、
美大で個性的な価値観を追求しているはずの彼女・彼らも、
やはり中学・高校時代は、テンプレ的な学習に流されてきたようです。
僕の教師としての仕事の一つに、英語科目がありますが、
僕はそこで、昭和時代の古臭い学習方法を学生に強いています。
英文テキストを、文法的な感覚を最大限に生かして、とにかく精読していく。
英文の意味よりも、まずは文としての成り立ちについて、徹底的に理解する。
おそらく、表層的な実用性を重視する現代において僕の指導方針は、
批判や非難の対象になるでしょう。
しかし僕は、僕自身の研究活動を通して、
真の異文化理解、真の人間理解は、
表層的な知識の獲得で到達できるものではなく、
知識を支える思考活動の骨組みを追体験することで成立することを、
身をもって体験してきました。
僕の仕事は、僕自身の体験を若者たちに伝え、そして追体験してもらうことです。
外国語の学習に王道は絶対にありません。
日本語は世界の中でも孤立度の高い言語であり、
そのような言語を母語とする人にとって、何語であろうと外国語の学習は、
脳みそにたっぷりと汗をかかせることでしか成立しません。
テンプレ獲得至上主義に走っている今の若者たちを放置すること、
それは間違いなく、この国の滅亡を導きます。
外国語の学習においても、表層的な成果獲得だけを急がせるだけでは、
世界に対して発言できる日本人を輩出できません。
僕たち大人が、それも昭和を生きぬいてきた大人が、
若者たちに嫌われることを承知のうえで、しっかりと発言しなければなりません。
もっとも、同世代の連中にもアホが増えてきたからなぁ。
でも、俺は負けへんぞ。