僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

これは酒の効能?

飲酒歴40年、断酒歴6年と10か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、飲酒を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

飲酒者のころの僕は、目的もなく酒を飲んでいました。

というか、酒を飲むこと自体が完全に目的として完結していて、

もしほかに目的がついてきたとしても、ホンマに付随していただけでした。

 

機会飲酒者にとって飲酒の席に参加する目的の一つに、

親睦を深めるということがあったと思います。

確かに、新たな組織が結成されたときなどは、

飲酒の機会を設けることによって、チームワークを確立することが図られたようです。

 

 

でも僕にとっては、みんなで出し合ったお金で大っぴらに酒が飲める機会にすぎず、

親睦が深まったかどうかは、どっちでもよかったって言ったあたりが、正直な感想でした。

もちろん、酒席を通じて、新たな人間関係が築かれたこともありましたけど。

 

でも今、断酒者になって思います。

酒席で確立された人間関係って、偽りとまではいわないまでも、

幻というか、思い込みというか、希望値(なんて言葉はないか)に過ぎないのではないかって。

 

9月に出演したジャズフェス以降、まったく音信不通になってしまったバンドがあります。

僕はこのバンドを脱退することは正式には表明していません。

しかしメンバーから演奏機会を共にすることの誘いは、まったくなくなりました。

 

以前にも少し書いたのですが、

このバンドとの縁が疎遠になった一番大きな理由は、

純粋に音楽的な問題でした。

ですから、現在、僕が事実上の脱退状態になっていることについては、

全く問題がありません。

 

しかし僕が他のメンバーとの宴席に参加しなかったことも、

理由というか、大きなきっかけになったのも間違いないようです。

他のメンバーは、宴席の場で、今後の演奏スケジュール等を決めたようです。

 

飲酒のみならず、食事の楽しみ方も共有できなかった僕は、

結果として音楽に関する話し合いの場からもはじき出されていたようです。

 

飲酒を共に楽しむこと、

確かに参加できる人同士の間では、何らかのコミュニケーションの進展があるのかもしれません。

でもそこには、参加して当たり前、参加しないのはそいつの勝手という、

場合によっては排除の論理が働いているかもしれません。

 

飲酒者のころは、このような飲酒に伴う抑圧の構造には気がつきませんでした。

やはりアルコールは薬物、

薬物には効用と副作用の二面があるようですし、

その二面性もあいまいな連続性の中にあるに違いありません。

みんな、レインボーカラーの輪の中にいるようです。