僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

霧とブルースと習慣飲酒

飲酒歴40年、断酒歴6年と11か月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、喩え過ぎかも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

1月13日の金曜日、い~ひっひっひ。

単純に考えれば、毎月やってくる13日の7回に1回は金曜日でしょうから、

どうっちゅうこともないのですが、13日の金曜日でした。

 

今朝の大津市湖西地域は、びっくりするほどの霧に包まれました。

8時前に自宅を出発した時に、僕の家の周りは霧が下りていました。

拙宅は山の麓にありますので、この霧は山を下りれば晴れているだろうと思っていましたが、

何と驚いたことに、勤務先の大学付近まで、深い霧の中で車を走らせることになりました。

 

恐らく視界は100メートルもなかったと思います。

いくら毎日のように走り慣れている道とはいえ、

視覚情報がかなり遮断された中での運転は、

緊張を強いられました。

 

今日は、いつもの京都の伏見稲荷近くのジャズハウス、

「アンソニア・カフェ」さんでのセッション・ホストを務めました。

夕方から雨が降ってきたにもかかわらず、

初めてお手合わせをするお客さんが何人も来られ、

楽しい時間を過ごしました。

 

その中に一人、ブルースを専門にされているギタリストの方がいらっしゃいましたが、

その人との手合わせは、ジャズではなく、ブルースを演奏しました。

 

僕にとってブルースは、

実はよく分からない音楽です。

コード進行とか、リズムの構造といった、客観的な要素は理解できますが、

どうにも基本的なノリの感覚が分かりません。

恐らく、そのブルース・ギタリストとの演奏も、最初のうちはギクシャクしていたと思います。

 

しかしある瞬間、一つのことが分かりました。

ブルースとは、ある意味で、表面的には徹底的に緩み切った中で、

最後の一線において、ぎりぎりの創造性を発揮する音楽のようです。

常にぎりぎりの緊張感を前面に押し出すジャズとの、一番大きな違いがここにありそうです。

ちょっと抽象的に過ぎるかもしれませんが、

緩やかなノリの中でおしゃべりを楽しむのがブルース、

もちろん、そのおしゃべりの中身は、濃いですよ、

様ざまな喋りのテクニックを駆使して、エッジの立ったおしゃべりを繰り広げるのがジャズ、

そんな感じだと思います。

 

このことに気がついてからは、

どちらかといえばワンパターンのバッキングやフレージングを奏でました。

そしてその方が、ブルースの楽しさを十分に引き出すことができたようです。

 

朝の深い霧の中での運転、

これはある意味で、飲酒によって感覚が鈍くなってしまった状態と同じかもしれません。

そしてブルースのようなレイドバックしたノリ、

これも飲酒によって特定の感覚以外の緊張感が失われて状態といえるでしょう。

 

霧の立ち込めた中で速度を落とさない運転、これは危険ですよね。

僕たちがかつてそうだった、連続飲酒者の日常生活って、

こんなものだったのかもしれません。

つまり連続飲酒者は、惰性のため、自分に襲い掛かる危険に気がつかないのですが、

これは深い霧の中で、熟知した道で高速運転を行っているようなものでしょう。

 

ブルースは、機会飲酒者のたまぁの羽目外しくらいかもしれません。

論理性は怪しくなりながらも、

共有できる情緒性をだらだらと共有する、

恐らく酔っ払いの会話ってそんな感じじゃないかな。

そしてそんなノリを基本にしながら、洗練させていったのがブルースかもしれません。

 

断酒者となった僕たちは、濃い霧の中を暴走するような愚は、犯しません。

そして3Cの脳みそで、ブルースのレイドバックしたノリを楽しむこともできます。

 

やっぱ、断酒ライフしかないっしょ。