飲酒歴40年、断酒歴7年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
本日もリスボンの、久しぶりに飲酒を振り返る・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
昨晩は一昨日とは異なり、いつも通り、11時過ぎには床に入ったにもかかわらず、
今朝、目が覚めた時は、6時を回っていました。
平均睡眠時間が5時間の僕としては、またたっぷり眠ってしまいました。
どうやら、金曜日の疲れは、金曜日から土曜日にかけての睡眠では解消されず、
加齢とともに筋肉痛が遅れてやってくるように、
疲労の顕現も2,3日、遅れるようになったようです。
ジジィを自覚します。
というわけで今日も、のんびり、過ごしました。
何をしたかといえば、ピアノの練習と散歩くらいですかね。
ところでこのブログですが、このところ断酒関係の話題を、
全くと言っていいほど、取り上げていません。
かつて僕の精神を蝕んでいた飲酒に対する依存が、ほぼ解消された結果でもあり、
喜ぶべきことですよね。
でも今日は、久しぶりに、飲酒について書いてみようと思います。
断酒ライフがもたらしてくれたご褒美はいっぱいあります。
中でも大脳の働きを十分に活かすことができるようになる点は、
僕にとってとてつもなくうれしいことでもあり、
そしてとてつもなく残念なことでもあります。
何が残念かというと、人生のもっと早い段階で断酒ライフに入門できていれば、
研究者としてもっといろいろな仕事ができただろうにという後悔です。
飲酒者のころの週の半分くらいの午前中は、
前の晩の深酒のせいで、脳みその中の電流が明らかに滞留していました。
そのころの僕の脳みそは、情報処理速度も遅く、耐久性も低かったと思います。
もしもっと早い段階で断酒ライフに到達できていれば、
もっと多くの文献を読破し、多くの論文を発表し、
そして多くの実践の現場に参加できた可能性がありました。
もちろん、飲酒者であったとしても、
適正飲酒が実践できていれば、問題はなかったかもしれません。
でも僕は、顕著な問題飲酒行動には陥りませんでしたが、
習慣飲酒行動が常態してからは、ひたすら酒量が増え続けました。
結論付けるのは尚早でしょうが、恐らく僕のアルコール使用障害は、
潜在的には相当、早くに発症していたと思います。
しかし後悔先たたず、です。
10代に習慣飲酒に陥り、恐らくそれから間もなく、潜在的な使用障害を発症していた僕の人生は、
やり直すことはできません。
次に人として生を受けることがあれば、
その人生でこの人生での学びを活かすこともできますが、
輪廻転生があるかどうか、僕にはわかりませんし、
仮に輪廻があったとしても、以前の生を覚えているとも思えません。
そういう意味では、下手をこいた人生だったかもしれません。
でも、アルコール使用障害を発症したことによって得られたこともありました。
少なくとも僕の場合、僕自身が薬物使用障害当事者になったことによって、
障害者をはじめとする、社会的少数者の皆さんが置かれている苦境について、
当事者ならではの視点を共有することができるようになりました。
これは僕の持論ですが、
できる人はできない人の指導はできないものです。
できる人はできない人のできないという切羽詰まった状態に対して、
共感的に理解することは絶対にできません。
僕はある意味で間違って、デザインを専門的に勉強する大学に進学しました。
そして大学1,2年生のころは、
圧倒的な劣等生として大学の授業にへばり付いていました。
へばり付いたことによって、その後の道も開けましたし、
さらに言えば、できなかった僕がある程度できるようになる過程を体験したことにって、
教育者としての独自の視点を持つこともできるようになりました。
大多数の人にとって当たり前にできることが、いろいろな理由でどうしてもできない、
努力の問題としてではなく、社会構造的な問題として不可能なことを強いられる、
少数者とは、そのような人びとのことなのですが、
僕の研究者としての視点は、ある時期からそのような社会的少数者に向かうようになりました。
そして僕自身が過剰飲酒により、取り返しのつかない内臓疾患と、精神疾患を経験しました。
僕の人生は、僕の過剰飲酒という前提部分があることによって成立する意味をもったとも考えられます。
繰り返しになりますが、
人生のやり直しはできません。
でも、表面的には失敗に思える人生経験も、
いろいろな視点から眺めれば、いろいろな意味をもつはずです。
この世に生を受けた奇跡とその意味について、
僕たちは反省も含めつつ、でも、それぞれに誇らしく考えていいと思います。
神様からお呼びの声をいただけるその日まで、
しっかりと生き続けます。
断酒ライフのご褒美まみれになりながら。