飲酒歴40年、断酒歴7年と2カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
本日もリスボンの、医療と福祉を考える・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
今日も狂言自殺未遂常習犯のクソおやじに少しだけ振り回されました。
今日は新入生の授業登録指導のために、大学にいました。
研究室で休憩をとっていた1時少し前に、
親父を預かってもらっている高齢者住宅のスタッフから電話がありました。
親父は、小便が出ないので救急車を呼んでくれと言っており、
そのために僕に救急搬送付き添ってほしいという依頼でした。
僕は午後からも新入生の指導があるので、救急搬送の付き添いは無理であることを伝えました。
仕事があったのは本当ですが、
もっと言えば、小便が出ないという親父の苦情は、
いつもの猿芝居に違いないという読みもありました。
猿芝居は言い過ぎかもしれません。
クソおやじは、周囲に助けてくれる可能性のある人がいると、
途端に甘えた精神状態に陥り、
普通に歩けるのにびっこを引いてみたり、
やたらと苦悶の表情を浮かべ、助けを求めようとします。
僕はこの2年余りのおやじの自殺狂言に付き合わされた中で、
このくそジジィの卑怯極まりないふるまいを何度も目撃しています。
結局、施設のスタッフが付き添う形で救急搬送され、
大病院に搬送されていきましたが、
僕も仕事にめどがついた段階で、病院に駆けつけました。
何かあった場合には、僕が決断を下す必要は当然あります。
救急待合で、付き添ってくれた施設のスタッフと会うことができ、
現状を聞きました。
やはり僕の予想通りで、親父の身体には何ら異常は見つからなかったので、
これから施設に戻ることになりそうだということで、
僕は彼女に、親父に面会するつもりはないので、施設への連れ帰りも依頼しました。
そのあと、担当いただいたドクターから説明をいただきました。
膀胱にも尿道にも異常は見られず、今後、同じようなことがあった場合は、
泌尿器科を受診してほしいということでした。
ただ明らかに親父の認知状態の悪化は進行しているという指摘はいただきました。
そして僕は、先日あった、親父を診ていただいている二人のドクターの所見の違いについて聞いていただきました。
そのことについては、以前に当ブログで報告しています。
医療と福祉と当事者の間で - 僕のワンノートサンバ (hatenablog.com)
形成外科の先生は、親父の認知症の進行についての精密検査が望ましいというご意見で、
心療内科の先生は、4週間ごとの対面診療で認知状態の進行については把握しているので、
特に精密検査の必要はないというお話でした。
今日のドクターは、認知状態の進行の判断にあたっては、
特に機械を用いた精密検査の必要はなく、
面談診療の結果に基づく医師の診断書で十分だと教えていただけました。
以前に精密検査の必要性を主張された形成外科の先生は、医療や福祉のよりよい活用のために、
より説得力をもったエビデンスが必要であるとお考えになったんだと思います。
患者の家族としての僕の立場からこの先生のご判断について批判することは難しい。
でも、障害者や少数者の人権や社会参加について研究している立場から考えると、
社会制度の活用の起点として、
いわゆる客観的な判断基準としての数値的資料に過度の信頼を置くことに対しては、
大いに問題があると考えています。
ここ数年の間に、エビデンスというけったいな概念が、
いろいろな社会的な場面で幅を利かすようになりました。
横文字概念の濫用も気になりますが、
それと同時に、客観性という概念に対する、社会全般の盲目的な判断放棄も気になります。
もう少し論点を整理して、若者たちの思考を刺激する素材として活用してみたいと思います。