僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

マスク狂騒曲

飲酒歴40年、断酒歴7年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、やっぱこの国はおもしれぇ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

僕は、大学の授業時間割の関係で、

今日から連休に突入したようなものです。

 

もっとも大学の教師という職業、

オンタイムとオフタイムの区別が不明確ですので、

一般の皆さんと異なり、連休だからといって特にはしゃぐような気もちにはなりません。

 

今日も、授業関係の仕事と研究関係の仕事に3時間半ほど、費やしています。

以前にも何度か報告していますが、

連休中の琵琶湖の西岸は、連休を楽しむ皆さんのおかげで交通渋滞が発生しますので、

どちらかといえば、連休は鬱陶しい感覚の方が強いかな。

 

「医学的な根拠はない」のに、マスクを外せない...「キリシタンの踏絵」と化したコロナ対策の末路(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

 

yahoo ニュースに掲載された、ニューズウィークの記事を貼り付けておきます。

 

この記事は、この3年間の日本社会のコロナウィルス対策としてのマスク着用が、

いかに世界標準からずれていたかについて、

少しばかり誇張して報告しています。

この記事にあるように、マスクの着用が感染拡大防止に全く意味がなかったかどうかは、

僕にはわかりません。

 

でもこの記事で指摘されているように、この国ではマスク着用という生活選択が、

ある種の「踏み絵」として、歪んだ社会的強制力を持っていたという事実は、

大いに共感できました。

 

今でも、戸外であるにもかかわらず、マスクを着用している人たちがいます。

もちろん、マスクの着用に、ウィルス感染拡大防止以外の効果を期待している人、

あるいはメークをさぼることができる等のアドバンテージを感じている人もいるでしょう。

 

でもやっぱり、日本人、マスク、好きすぎるでしょう。

日本人、おかみが決めたこと?、みんなが従っている生活様式選択に、

盲目的に従いすぎでしょう。

 

フェイスガードやマウスシールドに至っては、

僕にはネタにしか思えませんでした。

なんでも世界標準が正しいというつもりはありません。

でも、この国の人たち、自分で考え、自分で決め、そして実行するという、

人間として多分、一番、当たり前の能力や権利を、簡単に放棄します。

世界に合わせろとは言いませんが、

せめて考えましょうよ。

 

この連休中に、マスク狂騒曲という、

出演者1億人の前代未聞のコメディーが終わることを期待します。