飲酒歴40年、断酒歴7年と6カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
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今日は2本の会議に参加するために大学に出勤してきました。
大学の業務の中で窓際に座るようになってからは、
殆どの会議には、「居てるだけ~ぇ」の態度で参加してきましたが、
今日の1本目の会議ではそのような訳にはいきませんでした。
議題の一つに、「退任する教育職員の退任記念講演について」という項目があったからです。
この「退任する教育職員」の一人に僕が含まれます。
つまり、僕ともう一人の定年を迎える教員の、退任記念講演についてどうするかという議題です。
この先生が定年を迎え大学を去る時に、何かレクチャーのようなものをするというしきたりは、
多くの大学で行われているようです。
僕の勤めてきた大学でも、
過去に何回か退任記念講演というイベントがあったような気がします。
でも全員が必ずやったかどうか、あまりはっきりとは覚えていません。
しはらへんかった先輩も居てはったんちゃうかなぁ。
んで今日の会議なんですが、
途中から話がどことなくもつれました。
もつれさせた原因の一つは僕にもあったんですけどね。
正直なことを言えば、
僕は大学に残る教職員を相手に何かを話す気にはなりません。
学術的なことについて語るべきなのでしょうが、
障害学というラジカルな学問の枠組みから芸術活動について考えてきた僕の研究は、
恐らく、常識的な思考パラダイムから脱却できていない一般の人にとって、
1時間程度の講演で理解してもらえるとは思いません。
もちろん、適当なところでお茶を濁す気は全くありません。
語り掛ける相手が若者たちであれば、僕の気もちもかなり変わります。
常識的なパラダイムの何に問題があり、
その縛りがいかにこの国をダメにしてきたのか、
特に大学をはじめとするこの国の教育をいかに腐らせてきたのか、
僕が若者たちに語るべき内容は、いくらでもあります。
そんなことを考えて、僕は記念講演にはあまり乗り気でないことを発言しました。
ところが退任記念講演について定めた学内の要綱では、
講演を行うことは義務のように書いてあり、
しかもその執行に当たっては当事者、つまり僕がすべてを決めると定められているようなのです。
全てを僕の責任で決めるべきであるのならば、やめるという決定権もありそうですが、
それはアカンみたいな感じで議論が進みました。
何となく玉虫色のまま、議論が終わったような感じですが、
しかし、僕の定年に向けてのカウントダウンは、始まっていました。
せっかくやから、大暴れして、立つ鳥、後を濁し倒して辞めたろうかな。
せっかくやから、薬物使用障害者当事者としての立場から、
少数者問題について、思い切り過激に語ってみましょうか。
講演という枠組みの中で、ピアノ弾き語りライブをぶちかますという手もありますけどね。
いつまでも大人にならないリスボン君でした。