僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

たまに行くのがいいですよ、ハイ

飲酒歴40年、断酒歴7年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、中途半端な田舎モン、バンザイ・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今日も暑うござんした。

このくそ暑い中、

もともとクソ暑いのに、さらに今年の狂気の暑さで暑さに磨き?がかかった京都に、

わざわざ、行ってまいりました。

 

目的は二つ、

展覧会を一つ観ることと、

英語の授業用のテキストとして適当な洋書の渉猟、ならびに購入です。

 

展覧会は、現在、京都国立近代美術館で開催中の、「走泥社再考」です。

走泥社は、戦後まもなく京都の陶芸アーティストたちによって結成された、

前衛焼き物集団です。

 

 

僕は陶芸には明るくなく、最初はピンとこなかったのですが、

走泥社の同人の一人に、大学時代にご指導を受けた陶芸家の先生がいらっしゃいまして、

その先生がフリージャズとプロレスがお好きということで、

授業中も音楽の話ばかりを聞いていたような記憶があり、

思い出深いこともあって、

出かけました。

 

驚きました。

僕が生まれる10年前の京都の陶芸家の中に、

こんなぶっ飛んだことに挑戦していた、ならず者が10人近くもいたんです。

走泥社の初期同人たちが、どんなふうにぶっ飛んでいたのかについては、

ネット上の情報でもある程度、確認できると思います。

 

とにかく、伝統と足の引っ張り合いの地、京都に、

いやそんな京都だからこそかもしれませんが、

世間からの眼差しよりも、己の感覚や本能に従って、

思いっきり素直に生きた大先輩たちがいたのです。

 

展覧会の会場構成も、キュレーターたちの思い切った主張が詰まっていました。

オープンすぐの10時に入館し、たっぷり2時間以上、堪能しました。

そして足が棒になりました。

 

棒になってしまった足に気合を入れ、

京都岡﨑の近代美術館から、河原町通りの丸善書店まで歩きました、クソ暑い中。

丸善の洋書コーナーでは、1時間少々の時間を費やし、

15冊ほどの、主にフェミニズムジェンダーの問題を扱った、

日本でいえば、新書に当たるような本を選び、購入しました。

 

世間では、ネットで殆どの情報にアクセスできるかのような誤解がはびこっていますが、

もちろん、間違いです。

とても重要で、注目に値する知見の全てが、ネット上に公開されているわけではありませんし、

そもそも、本当に必要かつ重要な情報や知見に到達するためには、

デジタル・ネットワークは複雑すぎます。

デジタル・ネットワークを使いこなすためには、

そのための専門家になれるほどの訓練や学習を必要としますが、

そんなことをしているうちに、無駄に歳をとってしまいます。

 

そういう意味では、やはり書籍は得難い情報源であり、

思考演習の格好の素材です。

せめて20世紀の生き残り証人として、若者たちに書物の意味や意義を伝えなければなりません。

 

展覧会を楽しみ、そして書物の大事さを伝える僕のような野郎は、

京都のような便利な都会に住むべきかもしれません。

田舎暮らしをしていることについて、不便に思うことも時々あります。

でも、普段は琵琶湖のほとりに暮らし、

たまに1時間ほどかけて、京都に出かける、

そして足を棒にしてくる、それくらいがちょうどいいのかもしれません。

 

きっと今夜は、すっと入眠してしまうことでしょう。