僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

冗長助動詞化 なります日本語に関する仮説

飲酒歴40年、断酒歴7年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、俺は言葉には敏感なんじゃい・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

昨日は展覧会を1本、堪能し、灼熱の京都を歩いたことを報告しました。

 

時々、申し上げてますが、展覧会を真剣に楽しむって、疲れるんですよ~、ホンマに。

特に昨日は、前衛陶芸の展覧会、

展示されている作品を様ざまな視点から観たいので、

可能な限り作品の周りをウロチョロし、

そして視点の高さを変えるために、立ったりしゃがんだり、ちょっとしたスクワット状態。

勝手に疲れる観方を仕方をしているだけといえば、それまでですけど。

 

というわけで、今朝の目覚めは、僕にしてはムチャクチャ珍しく、

6時を回ってしまいました。

夕べは11時には寝落ちしていたんですよ、ホンマに。

 

今日は特に公式の予定がありませんでしたので、

のんびりとルーティンをこなす一日、

ピアノの練習をし、本を読み、

次のライブの告知フライヤーを作成しと、

のんびり過ごしました。

 

のんびり過ごしたからというわけでもないのですが、

ふと思いついたことがありました。

大嫌いな「なります日本語」の言語学的な仕組みについてです。

 

僕はもちろん、言語学者ではありません。

が、言語学?オタク、あるいは単純にコトバオタクな部分があり、

何語の特徴はこんなところです、

何語と何語は親戚関係にあります、なんて言う知識には、

敏感に反応してしまいます。

 

 

そんなオタックス理解からの考察ですので、

ご笑読いただければ幸いにございます。

 

僕たち、言葉頑固老人たちにとって、なります日本語の何が鬱陶しいかというと、

「こちら、○○になります」という言い方が、

何が何になんねん!という答えのない疑問を呼び起こす点です。

 

Here, it becomes something.

So, what does become something?

 

単純に英訳すると、こんな感じでしょうね。

「なります」という言葉を、何かが何かに変化する、あるいは成長するといった、

本動詞として理解するわけです。

 

でも現在、多くの日本人の言語領野を侵食し、ほぼ占領してしまった「なります」という言葉は、

実は本動詞ではなく、

断定を避け、慇懃なニュアンスを付加するための助動詞である可能性がありそうです。

○○です、と言い切るよりも、○○になります、と冗長に言った方が、

何となく丁寧な感じがする、といったくらいの感じかな。

 

ここ30年くらい、日本語は、無駄に丁寧な機能語を多用するようになってきています。

「なります」日本語も、そんな現象の一つかもしれません。

冗長助動詞化という概念は、僕のでっち上げですが、

何となく、すっきりできそうな気もしています。

 

多分、日本語学の専門家の人たちは、もう気がついていると思いますけどね。