僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

主体性を失う言葉、日本語

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、日本語の衰退・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

なります日本語はいやだ! - 僕のワンノートサンバ

先月ですが、

最近増えている、「・・・になります」という気持ちの悪い日本語が、

大学でも平気で使われていることについて、

20世紀的に嘆く報告を投稿しました。

「・・・です。」といえばいいのに、「・・・になります。」といってしまうこの言葉使い、

すでにテレビを始めとするマスコミ軽量の部では、すでに市民権を得ているのかもしれません。

あまりにも頻繁に耳にするので、

僕の言語中枢も「なります日本語」に感染し始めているかもしれません。

 

もう一つ、気になる日本語の語法に、

「・・・してくださいますか。」という依頼の意味で、

「・・・してもらっていいですか。」という言い方も一般的になりつつあるようです。

 

それから大分以前に営業系の電話を受けた時に、

今は時間がないという理由で(という言い方でくるんでますが、本当は全く興味がないので)、

説明を断った時に、相手から、

「今、お話しするのは難しかったということでよろしかったでしょうか。」という、

一体、誰に何を尋ねているんじゃい!とブチ切れそうになる反応をされたことがあります。

 

どうも、これらの、昭和感覚、あるいは20世紀感覚を逆なでするような言葉の用法には、

共通点があるようです。

それは、話し手が自らの主体性をぼかすことによって、断定性を隠蔽していること、

そしてその結果として無駄に音数が増えていることです。

「・・・してもらっていいですか」という言い方には、

この主体性の隠蔽が如実に表れていますし、

「・・・になります」という言い方も、

自らの意志で述語を明確にすることを避けているかのように響きます。

 

音数が増えているのも、

長ったらしい言い方の方が、なんとなく丁寧に言っているかのように思えるからでしょうね。

 

以前にも書きましたように、言葉は変化します。

そして言葉の変化のスピードは、とてつもなく早い。

「関係」という簡潔な言葉は、

いつの間にか「関係性」という、少しばかり外連味を伴った冗長な言葉に置き換わりました。

言葉が変化していくのは、言葉の本来の性質だと思います。

 

しかし、最近の、主体性をぼかし始めた、あるいは主体性を放棄し始めた日本語の変化は、

由々しき問題だと思えてしかたがありません。

日本人が、そして日本の社会全体が、

自己の責任感を放棄しつつあるようにも思えるからです。

 

僕の社会言語感覚が完全に年寄り化してしまっただけなのかもしれませんが、

しかしどうしても納得できない現象を受け入れることもできません。

せめて気色の悪い響きについては、

気がついた時に記録しておくことにしましょう。

10年後くらいの社会言語学の研究に役立ててもらえるかもしれません。

 

これも断酒サバイバーのちょっとした意地です。