飲酒歴40年、断酒歴8年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。
本日もリスボンの、俺は社会不適格者?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
タイトル、それからサブタイトルともに、やや穏やかではありません。
スンマセン、また不遜な内容になりそうです。
多分、大した話でもないんですけどね。
3月27日(水)、この3月で定年退職を迎える勤め先の大学で、
退任記念講演(演奏)会というやつを行います。
以前にも報告したことがありますが、
大学の教師は、
辞める前に記念講演というやつをかますのが一般的だそうです。
僕はいろいろありまして、通常の講演会は嫌だと駄々をこねたところ、
それなら演奏会で何とか折れてくだされということで、
今、最も激しい演奏を一緒に展開できる音楽仲間たちとともに、
大学の教室でジャズライブを行うことにしました。
そこまではいいんです、ハイ。
ワガママを言うて聞かない僕に対して、多少、忖度してくれたようなんで。
昨晩のことですが、所属部署のセンター長から、
僕の履歴と研究業績を当日、配布したいので、最新のものを送ってほしいという依頼を受けました。
ここからです、今回、予想されるもめ事は。
僕はこの極めて当たり前の依頼に対して、
全身で拒否感を抱いてしまいました。
僕の感じた拒否感とそれに伴う嫌悪感の正体を簡単に記すことは、多分、無理です。
僕たち、退任する教師に求められる退任記念講演は、
大学に勤務中に行った研究内容についての、
分かりやすい振り返りであることが多いと思います。
もちろん、僕も30数年間にわたって研究活動を行ってきましたので、
この一般的な要請に応えることもできなくはないのですが、
いろいろな事情があり、拒否することにしまして、
ライブ演奏を行うことになりました。
今回のセンター長の依頼は、いわば、僕のそのような拒否の意思表明に対して、
神経を逆なでするようなものとしか感じられませんでした。
そこで僕は、僕の退任演奏会の際に、履歴と業績の配布を行わないでほしいと返信しました。
僕はこれまでの僕について振り返ることよりも、
現在と今後の僕をさらけ出すことを選択しました。
その僕の意志と、僕の履歴書や業績書は、直接的には結びつきません。
僕は、僕という人間と対峙する際に、
実際の僕ではなく、僕の一部でしかない書類の類でまずは判断されることに対して、
強い拒否感を感じます。
僕の音楽に対する思い、そして僕の音楽そのものは、
履歴や業績では表現できません。
恐らく、研究活動に対する熱量にも同じようなことが言えると思います。
人を評価する最初のステップに書類が介在することは仕方がないことだと思います。
でも今回の話は、どうしても納得できないんですよ、僕は。
僕の対応が不適切であることは、恐らく認めざるを得ないと思いますが、
しかし納得できないものは納得できないんです。
近々、センター長と直接、話し合うことにはなりました。
高齢者のわがままを聞いてもらえるかどうか、また報告します。