僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

最後(でもないかも)の卒業式

飲酒歴40年、断酒歴8年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、これも人生の一里塚・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

 

今日はタイトル通り?僕が勤務先で最後に参加する(筈の)卒業式でした。

もう少し正確に言えば、

専任教員として、いわば職務上の義務として参加しなければならない最後の卒業式でした。

 

来年以降は、例えば、元教員として正式に案内が届き、

そしてスケジュールの上で出席が可能であり、僕もその気になりさえすれば、

卒業式に参席することには何ら問題はありません。

しかしその場合、職務上の義務ではなくなっています。

 

ですので、今日の卒業式は、僕の人生にとっても一つの一里塚のはずでした。

 

ですが、実にあっさりとした参加で終わりました。

いくつかの理由があり、会場には早めにつきましたが、

何故か今年の卒業生たちと特に言葉を交わすこともありませんでした。

卒業式終了後も、何人かの留学生とは、言葉を交わしましたが、

あっさりと会場を後にしました。

 

7時から恒例のジャムセッション・ホストの仕事?があったことも、

早めに会場を辞した理由の一つですが、

僕自身の中に、勤務先に対する帰属意識が希薄になり、

そしてそのためもあって、僕の学生たちに対する思いも、

薄味になってしまったようです。

 

今年の卒業生は、いわば、新型コロナウィルス問題のあおりを最も深く受けた学年です。

彼女たちには、入学式もありませんでしたし、

1年生の最初の2か月間は、大学への入構すらも許されていませんでした。

そしていざ授業が開始されても、半分ほどの授業はいわゆるオンラインでの展開であり、

僕たち、教師陣とも関係を築きにくい学生生活を余儀なくされました。

 

主に1,2年生の授業を担当することの多い僕にとっても、

関りの少ない学年であったともいえます。

 

でもそれ以上に、僕の中で組織人としての気概がなくなっていたのも事実です。

 

理事長が式辞の中で、

僕たちの学校法人の名称に含まれている「安」という字の意味について、

安寧な社会の実現を何よりも優先する精神だと述べていましたが、

僕には理事長の言葉は、個人主義を否定し、

集団主義と集団への帰属を第一に考えることの重要性を説いているように聞こえました。

多分、僕の個人主義的な気質は、この国では異端であるための十分条件でもあったようです。

 

三つ子の魂百までだそうですので、

僕の中の非日本人的わがまま主義は、死んでも直らないようです。

もちろん、直そうという気もありません、ハイ。

僕はわがままに断酒道を貫きます、死ぬまで。