僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

ジミントー、JC、消防団? 古き悪しきオトコ自己チュウ主義

飲酒歴40年、断酒歴8年と1カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、まだこんな感覚が生き残っていたんだ?ノープラン・ブログ、

ご訪問ありがとうございます。

 

本日の当記事は、恐らく勝手な推測による偏見を含んでいます。

実証的な根拠の乏しい偏見をオンライン上に公開することはあまり褒められたことではありませんが、

しかし全くの的外れとも思われませんので、

推測と事実の違いをしっかりと意識しながら、書いてみたいと思います。

 

何の話かといえば、

ジミントーの和歌山県連が昨年の11月に開催したという、

ハレンチ懇親会の件です。

宴会の余興としてセクシーなダンスを披露するプロ集団を招き、

パフォーマンスを楽しんだということですが、

楽しみ方が、もろに昭和のオッサン仕様だったようです。

 

「今の認識では」という新たなゴマカシ日本語によって隠ぺいしていますが、

どうやら常識の範囲では理解しがたい肉体的接触を楽しんだギインさんが何人もいたようですね。

 

 

この楽しみ方もハレンチですが、

さらに恥に恥を重ねたのが、

多様性を理解するためにセクシーダンスプロ集団を招聘したという、

後付けにしてもお粗末すぎる説明でした。

 

もちろん、ここまでひどい恥さらし宴会について、

世間が黙っているはずはありません。

ウンコ・アベ派を中心とした裏金問題、

ジミントー女性局によるパリお楽しみ研修旅行問題も併せて、

ジミントーというモラル欠落団体に対する批判は、

当分は収まることはないでしょう。

 

そして多くの言論人が問題視しているのは、

ジミントーに対する世間の目が厳しい時期にもかかわらず、

ジミントー和歌山県連が、誰が見てもヤバいことになるであろうというハレンチ宴会を、

なぜ企画したのかという点です。

 

ジミントーにはバカしかいないんじゃないかというのが、一つの推測です。

バカしかいないことはないにしても、

バカが集団の意志決定の上位に巣食っていることは間違いないでしょう。

 

そしてとても残念なことですが、

このバカ集団のバカぶりは、

昭和の男社会では、当たり前のことであった可能性が高いことです。

 

JC、Junior Chamber、青年会議所という組織があるそうです。

若手のビジネスマンたちによる社会貢献を目的とした組織だそうですが、

僕の印象では、2代目、3代目のボンボン経営者、ないしは経営者の息子たちの親睦団体です。

 

僕は20代から30代の前半にかけてのピアニスト稼業の時期に、

JC の会員が常連さんに多く含まれていた店で働いていたことがあり、

極めて部分的ではあると思いますが、

この団体の会員について、割とナマな、リアルっぽい実態を近くで見たことが何回かあります。

要は、飲み会です、JC っていうのは。

しかも、若きビジネスリーダーたちですので、金は持っています。

若きビジネスリーダーというのは少しばかりほめ過ぎで、要は創業者のボンボンですわ。

 

バブルの頃に小金をもっていたコヤツらの一部が何に一番、エネルギーを注いでいたかといえば、

ずばり、いいます、オンナ遊びです。

あまり書きたくはありませんが、

プロの女性との経済的なやり取りを介した性交渉が、JC の一部の会員の最大の関心事な訳です。

 

もう一つ、僕がうっかり聞いてしまった、昭和な男たちのハレンチな行動についても、

書いておきます。

それは地域の消防団という、村社会の青年の寄り合い集団です。

もちろん、消防団や自警団という組織は、重要な役割を担う集団としての一面ももっています。

しかしこれらの地域の若い男性の寄り合いは、

親睦を深めるという趣旨のもとに、

プロの女性たちとの交渉の場に若者たちを導いていくという、

イニシエーションの主宰者でもあったようです。

 

ジミントーの若手政治家たち、

JC の会員たち、

そして消防団の団員たち。

彼らすべてが、プロの女性との交わりにうつつを抜かしていたとは言いません。

しかし若き男性たちの性欲のはけ口を組織的に提供することに対して、

その犯罪性を全く顧みず、

ある意味で社会的なイニシエーションとして正当化するような意識があった点も、

否定できないと思います。

 

恐らく日本の社会の特有の現象ということでもないでしょう。

しかしだからと言って許されることではありません。

まして政治の世界の若きリーダーを目指そうという連中が、

そのモラルの低さについてまったく配慮せず、

堂々とハレンチな宴をもってしまったことについては、

恥ずべきことであり、許しがたい事態であるというべきです。

 

恥ずべきショウワの価値観を克服するためにも、

恥ずべき事なかれ主義的沈黙も乗り越える必要があります。

この国の恥ずべき後進性を克服するためにも、

僕は僕の偏見に基づくこのブログ記事をアップロードします。