飲酒歴40年、断酒歴8年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。
本日もリスボンの、昭和は遠くなりにけり・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
これまでも何回か報告したことがあったかと思いますが、
僕は一時期、パチンコとパチスロに凝っていました。
20代後半から30代前半にかけてのことです。
最初の頃は、普通機と呼ばれる、いわゆるチューリップ機を、
4時間くらいかけて打ち止めにするような遊び方でした。
元手が200円から400円、
打ち止めで8000円、
途中で疲れて止めて、4000円くらいの報酬でしたかね。
やがてパチスロの1号機、1.5号機を回すようになり、
効率は決して良くはないものの、確度の高い攻略法を知っていたので、
飲み代くらいは稼ぐようになりました。
マニアの方はご存じだと思いますが、
昭和、平成と時代が進み、さらに21世紀に突入するにつれ、
パチンコ玉1個、メダル1枚の貸し料単価は変わらないにも拘わらず、
ギャンブルとしてのパチンコ・パチスロは、レートがインフレを起こすようになり、
僕も自然と足が遠のくようになり、完全に足を洗いました。
あまり詳しくは知らないのですが、
あまりにもギャンブルとしての高レート化が進んだため、
現在のパチンコ機やパチスロ機は、規則でがんじがらめになっているそうです。
そして多分、ここ、10年くらい、特に4、5年くらいの間に、
多くのパチンコ店が閉店の憂き目にあっています。
郊外の幹線道路沿いには、
かつては巨大な電飾看板が輝いていたであろう、パチンコ店の遺構が散在しています。
街の中でも、かつては何軒かがしのぎを削っていたであろうような一角から、
賑やかなサウンドと派手な電飾が消えてしまいました。
昭和、そして20世紀の景気と矛盾の象徴のような意味もあった、
非合法にして合法のふりをしていた、街中の鉄火場、パチンコ店。
僕にとっては、社会が単一の価値観では成り立ちにくいことを教えてくれた、
社会学演習の実践ゼミナールだったような気もします。