僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

案外、みんな独りかも

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、もしかしたらそうかも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

今さらですが、僕はジャズ・ピアニストです。

若い頃は、プロのラウンジ・ピアニストとして生計を立てていましたが、

今の僕は、収入面から言えば、一介のアマチュア・ジャズ・ピアニストに過ぎません。

でも、生きざまとしては、人生をそこにぶち込んでいるという意味で、

プロのピアニスト・ヴォーカリストだと考えています。

 

ジャズ・ミュージシャンという生き物には面白い習性がありまして、

群れたがるくせに、固定した群れには縛られないふりをするんですよ。

 

他のジャンルの殆どのミュージシャンは、

基本的には自分のミュージシャンとしてのアイデンティティーを、

所属する音楽集団、

クラシックのミュージシャンであれば、オーケストラや吹奏楽団、あるいは室内楽団、

ロックやポップスのミュージシャンであれば、特定のバンドといった群れに、

自分の帰属根拠を定めます。

 

ジャズ・ミュージシャンも、特定のコンボやジャズ・オーケストラに所属している場合もありますが、

基本的には無所属ないしは、準メンバーのような顔をして、

独立したアーティストであるふりをしたがります。

もちろん、本当に音楽に対する考え方等が一致し、

ぜひともレギュラーバンドとしてやっていきたいと思うような仲間と出会えることもあります。

でもジャズの場合、固定したメンバーで演奏することも大事ですが、

演奏機会毎にプロジェクト・メンバーを組むことも多いのです。

多くのプロジェクトから声をかけられるミュージシャンは当然ながら、

仲間うちの評価の高い奴ということになります。

 

で僕の場合ですが、

今の僕は、レギュラーバンドに所属していません。

むしろ、ソロでやっているといった方がいいでしょう。

ソロの方がやりたいことができます。

 

でも、ソロの弾き語りのバックとして、固定されたレギュラーバンドも欲しいとも思います。

ただ僕の場合、どうも音楽的に妥協できないポイントが多いためか、

なかなか、レギュラーとして一緒にやっていける人と出会えません。

 

ジャムセッションなんかで出会う他のミュージシャンの活動を、SNS 等で見ていると、

みんな、楽しそうにグループを組んで、演奏していたりします。

きっとみんな、集団で演奏するための基本としての大人の対応ができているんだろうなと想像しています。

 

ただふと思ったのですが、

ジャズ・ミュージシャンが群れたがるのは、音楽的な理由だけではないような気もします。

ジャズ・ミュージシャンは、ジャズだけがもっている、

他のジャンルではあまり見かけない、

ミュージシャンとしての自立性に強い誇りを感じているように見えます。

でも実際には、ジャズマンたちも、不安で寂しいのかもしれません。

多くのミュージシャンが、和気あいあいとその時々のバンドでの演奏を楽しんでいるように見えますが、

その和気あいあいを支えているのは、音楽的な方向性の一致だけではなく、

みんな、一人でいることが根本的に怖いからなんでしょう。

 

多分、みんな、不安を感じていると思います。

不安を解消する方法としては、

何かを犠牲にしながら多くの仲間とうまく合わせることと、

少なくとも自分のやりたいことは犠牲にしないために、ひたすら己を鍛えること、

この二つがあると思います。

 

このどちらかを選ばなければならないということではないでしょう。

基本的な軸足の場所をしっかりと定め、

もう一方の軸足にも時々体重を移してみる、

そんな大人のズルさが大事なのかもしれません。

 

若い頃の僕は、軸足を定めることばかりに目を向けていたようです。

今でもそんな頑固さは残っていますが、

でも大人の感性で気持ちをうろうろさせることも、

少しづつですができるようになったようです。

 

上手く説明できませんが、これも断酒サバイバーになったおかげのような気がしてます。

 

 

孤独を楽しめているうちに次のステップの入り口を見つけなければ

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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この頃、時々、耳にする言葉に、陰キャ陽キャというものがあります。

陰気なキャラクター、陽気なキャラクターといった意味でしょうね。

若者たちが、自らや他者のアイデンティティーを手っ取り早く説明するためによく使うようです。

 

人間性を陰気と陽気という、あまりにも無邪気な二分法で理解しようとする、

考えようによっては、

現代人が深く思考することを放棄するようになっていることを如実に表しているようでもあり、

あまりお勧めできない考え方だと思います。

 

お勧めできないのですが、それでもこの考え方に従って僕を分析してみると、

多分、陽キャととらえられることになると思います。

たしかに暗く振舞うことは少なく、

ADHD気質特有のノリで、受けねらいのイチビリ発言も駄々洩れです。

 

でも本当に僕が陽キャに分類されるのかというと、

僕自身の内面を一番知っているはずの僕の観点からは、

陰湿な面も少なくない、陰キャとしての側面ももっていると思います。

 

特に家族関係ということでいえば、おそらく僕は孤独です。

 

時々、報告していますように、

僕とパートナーの夫婦関係は、

精神的には完全に崩壊しています。

一緒の空間で生活していますが、会話はほぼありません。

土地と家屋という固定資産によってともに縛られているだけの関係です。

 

こどもたちはそれぞれ、経済的にも人格的に独立しつつあります。

長女は社会人としての自立を果たしましたし、

倅もおそらく就職を決めてしまうことでしょう。

娘や息子とは、それぞれに細々とした気もちのつながりはありますが、

共依存状態にはなっていません。

 

そして僕のもう一方の家族の方は、

もうすぐ、跡形もなくなります。

弟二人は、それぞれこの世にはいませんし、病気がちであった母親も順当にあの世に行きました。

そして時々、報告していますように、父親は長生きしていますが、

睡眠薬使用障害に陥っております。

ずばり、正直に書きます。

あのくそじじいには、早くあの世に行ってほしいと思います。

 

パートナーの親戚とは、もちろん、形式的なつながり以外には無関係状態といっていいでしょう。

父親に連なる親族とは、ほぼ連絡関係は途絶えました。

 

おそらく僕は、親族・家族との関係においては、もうすぐ、孤独になります。

寂しいとは思いません。

ただ、それはそれでつまらないだろうなと思うので、

直接的な身の回りの孤独を楽しみつつも、

全く別の人脈のつながりの中に自分の居場所を確保する必要はあるでしょう。

 

何となくですが、現在、レベル63の僕にとって、

レベル70に到達する前に、新たな関係への入り口を見つけることが重要な課題のようです。

そしてこの秘密の入り口は、僕自身がうろうろしないと見つけられないと思います。

 

幸いにも僕には音楽があります。

僕の60代の人生は、

社会的なアイデンティティーの終了の中で、

もう一つのアイデンティティーを確保するための準備期間だと思います。

考えてみれば、ホンマに酒なんか飲んでる暇はありませんね。

断酒サバイバーとして生き続けられていることに、改めて感謝です。

 

みんなが相互忖度し過ぎる社会・・・だめだ、こりゃ

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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今年の初めですが、

楽天モバイル社が、

僕たちの暮らしている集落内に中継局を建設する予定でしたが、

計画を撤回することになったことについて報告しました。

大企業に勝つ? - 僕のワンノートサンバ

 

その際、建設予定地の所有者であった自治会の会長から僕たち住民に意見を募る広報物が配布され、

僕も反対の意思を表明する文章を提出しました。

僕たち、何人かの反対派の意見が理由で、楽天モバイル社が計画をあきらめたわけではなさそうですが、

しかし僕としては、一人の住民として言うべきをことを言えたことについては満足しています。

 

今日、ちょっと考えてみたいのは、そのやり取りの際の、ちょっとした呼称についてです。

 

建設予定地の所有者であった自治会会長が基本的な文書を作成されているのですが、

会長さんは楽天モバイル社について記述する際に、

楽天モバイル様」という呼称を用いました。

僕の感覚では、ちょっと受け入れがたい表記です。

○○様の様という呼称は、個人に対して用いられる敬称であるというのが、僕の理解です。

法人に対して同様の敬称を用いることが適切かどうか、僕にはわかりません。

 

郵便物のあて名の場合、個人名には「様」をつけるのが最も一般的で、

会社等の法人組織に対しては、「御中」という呼称が用いられると思います。

 

今では法人等の組織に対しても、様を用いるようになっているのかもしれませんが、

どうにも腰の座りが悪い使い方です。

 

どうもこのあたりの敬称の用い方にも、

最近の日本社会に見られる、過剰に相手を尊重する(ふりをする)傾向が現れており、

建設的に本音をぶつけ合って前向きに問題の解決を図ることから、

目を背けている風潮が現れているように思われるのですが、

僕の理解がおかしいのでしょうか。

 

3日前にも、最近の日本語の構造の弱体化を憂う報告を投稿しました。

主体性を失う言葉、日本語 - 僕のワンノートサンバ

 

現代の日本語用法に蔓延している表面的な丁寧さは、

しかし実態の脆弱さの裏返しでしかないでしょうね。

きっとこの国の経済を始めとする元気度は、もっともっと落ちていくでしょう。

一人ひとりが内面をしっかりとキープしていくしかなさそうです。

 

親愛なる断酒サバイバーの皆さん、

人生の地獄を垣間見たが故のたくましさを大いに活かしていきましょう。

 

 

借りてきた猫が少しづつ・・・

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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ゴールデンウィークも明けました。

3年ぶりの行動制限の伴わない連休ということで、

新型コロナウィルス感染者は、困ったことにというか予想どうりというか、

また少し増え始めたようです。

でもこんなふうにして、徐々に共存していくしかないんでしょうね。

何が何でもゼロ感染を目指した中国の上海の事例からもわかるように、

人間だけの勝手な都合だけではことは収まらないってことでしょう。

 

勤務先でも授業が再開されました。

毎週、火曜日の僕は、同じ講義を2回、繰り返して行うという、

かなり負担のきつい勤務をこなさなければなりません。

もちろん、新型コロナウィルス感染拡大以前も同じようにやっていたんですが、

2年のリモート講義というブランクを挟んだうえに、

こちらも強制解雇寸前の老体ということもあり、

以前よりも、きつく感じています。

 

でもいつも告っています様に、

若者を目の前にして言葉を直にぶつけていく作業、

しんどさを上回るやりがいと楽しさを感じることも事実です。

 

連休中、1回、授業が空いただけなんですが、

若者たちの様子には、少しだけ変化が見られます。

彼女たちの大半は4月の間は、

入学したてです、こないだまで高校生でした、

という顔をしていましたが、

連休明けの彼女たちは、少しづつ、地の表情を見せ始めます。

季節の進行もあり、服装も少しばかりラフなテイストを帯び始めますし、

突然、髪の毛が派手になることも出てきます。

 

ホンマに借りてきた猫が「素」の顔をさらし始めたという感じですね。

借りてきた猫のすまし顔を見るのも楽しいのですが、

すっぴんで言いたいことをズバズバといい始めた若者たちの顔からも元気がもらえます。

 

残り2年足らずですが、若者のエネルギーを、山姥のごとく、吸い取ってやります。

そのためにも断酒ライフを決然と継続し、

気もちの若さだけでも負けないようにしておきます、ハイ。

 

 

ダブルタスク

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腰痛さんがお見えになって早や、5日、

腰痛さん、まだ滞在してらっしゃるようです。

お見えになったばかりの頃の腰痛さん、

結構、機嫌よう、喋ってはったんですが、少し落ち着いてきた感じもします。

お見えになった直接のきっかけはもちろん、

難のご縁があったのかも、よう分からんですが、

多分、日にち薬が一番、いいんでしょうね。

とにかく、無理はせんとこうと思ってます。

 

腰痛さんのご来宅をきっかけに、毎朝の腹筋メインの筋トレのやり方を変えました。

一般的な上体起こしと上体反らしは、どちらも腰痛の原因になりやすいということで、

ドローインとクランチというメソッドに切り替えました。

まだ始めてから3日しかたっていませんので、

効果のほどは分かりません。

もう少し続けてみたいと思います。

 

おなかをへっこました状態をしばらく保つドローイン、

30秒、へっこまして、10秒のインターバル、この5回の繰り返しを1セット、

肘立伏せの状態で体をまっすぐに保つクランチ、

こちらも30秒、姿勢をキープして、インターバルは20秒、そしてこちらも5回の繰り返しで1セット、

この両者を代わりベンタンに3セットづつ繰り返すというメニューを採用しました。

 

時間は、スマホのストップウォッチを見ながらやっています。

ドローインが、30秒+10秒の40秒単位、

クランチが同じく、30秒+20秒の50秒単位、

ストップウォッチは途中で止めませんので、

姿勢の保持時間とインターバルの時間を常に計算しながらやっています。

 

簡単な計算のはずですが、

ストップウォッチの秒表示は、当然ながら分で切り上げられます。

単純な秒加算の数値と、その分切り上げ表示数値との瞬時の比較判断、

意外に手間取りますよ。

このフィジカル・エクササイズと脳みそ・エクササイズの同時進行、

もしかすると N 痴症防止にも効果的かもしれません。

 

腰痛のおかげで?新しいエクササイズに出会えましたが、

さらに知能訓練のメソッドにも出会えました。

もう一つ言えば、ちょっとはスマホを活かせるようになったのかもしれません。

テクノ音痴の昭和ジジィにしては、上できじゃないですか。

ちっちゃな進歩になったかもしれません。

めでたし、めでたし。

 

主体性を失う言葉、日本語

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

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なります日本語はいやだ! - 僕のワンノートサンバ

先月ですが、

最近増えている、「・・・になります」という気持ちの悪い日本語が、

大学でも平気で使われていることについて、

20世紀的に嘆く報告を投稿しました。

「・・・です。」といえばいいのに、「・・・になります。」といってしまうこの言葉使い、

すでにテレビを始めとするマスコミ軽量の部では、すでに市民権を得ているのかもしれません。

あまりにも頻繁に耳にするので、

僕の言語中枢も「なります日本語」に感染し始めているかもしれません。

 

もう一つ、気になる日本語の語法に、

「・・・してくださいますか。」という依頼の意味で、

「・・・してもらっていいですか。」という言い方も一般的になりつつあるようです。

 

それから大分以前に営業系の電話を受けた時に、

今は時間がないという理由で(という言い方でくるんでますが、本当は全く興味がないので)、

説明を断った時に、相手から、

「今、お話しするのは難しかったということでよろしかったでしょうか。」という、

一体、誰に何を尋ねているんじゃい!とブチ切れそうになる反応をされたことがあります。

 

どうも、これらの、昭和感覚、あるいは20世紀感覚を逆なでするような言葉の用法には、

共通点があるようです。

それは、話し手が自らの主体性をぼかすことによって、断定性を隠蔽していること、

そしてその結果として無駄に音数が増えていることです。

「・・・してもらっていいですか」という言い方には、

この主体性の隠蔽が如実に表れていますし、

「・・・になります」という言い方も、

自らの意志で述語を明確にすることを避けているかのように響きます。

 

音数が増えているのも、

長ったらしい言い方の方が、なんとなく丁寧に言っているかのように思えるからでしょうね。

 

以前にも書きましたように、言葉は変化します。

そして言葉の変化のスピードは、とてつもなく早い。

「関係」という簡潔な言葉は、

いつの間にか「関係性」という、少しばかり外連味を伴った冗長な言葉に置き換わりました。

言葉が変化していくのは、言葉の本来の性質だと思います。

 

しかし、最近の、主体性をぼかし始めた、あるいは主体性を放棄し始めた日本語の変化は、

由々しき問題だと思えてしかたがありません。

日本人が、そして日本の社会全体が、

自己の責任感を放棄しつつあるようにも思えるからです。

 

僕の社会言語感覚が完全に年寄り化してしまっただけなのかもしれませんが、

しかしどうしても納得できない現象を受け入れることもできません。

せめて気色の悪い響きについては、

気がついた時に記録しておくことにしましょう。

10年後くらいの社会言語学の研究に役立ててもらえるかもしれません。

 

これも断酒サバイバーのちょっとした意地です。

 

 

腰痛からの挑戦

飲酒歴40年、断酒歴6年と3カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル63。

本日もリスボンの、悪あがきかも・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

一昨日からの腰痛、快方に向かっているのかどうなのか、よく分かりません。

点としての痛みは、弱くなったような気がします。

しかしその分、痛みがぼや~っと拡散してしまったかのような、ヤな感じ。

特に、立ち止まって見た時に、

上半身が骨盤というすり鉢状の容器に刺さっていて、

そのすり鉢全体がぼや~っと痛だるい感じかな。

 

じーっとしていても痛くてたまらんというような状態ではありません。

横になった状態から上体を起こすときに痛みを感じるくらいで、

生活動作には、ほとんど支障がありません。

でも焦点の定まらないぼや~っとした痛みというやつ、

スッキリしない、不快感が漂います。

 

二日連続で、朝のエクササイズをサボっています。

このままでは自慢の?腹筋が、また脂肪に包まれてしまいます。

という訳で、腰痛でもできるエクササイズをパソコソでこそこそと調べてみました。

 

そこで見つけたのが、ドローインとクランチというエクササイズでした。

ドローインは、一度、息を吐きだして、意識的におなかを引っ込めた状態を保つという運動です。

クランチは、うつぶせになってから両肘をついて上体をもち上げた状態に保つ運動です。

どちらも、筋肉を動かすというよりは、

筋肉に一定の負荷をかけた状態を保つという、静的なエクササイズです。

 

ちょっと試してみると、

どちらも頼りない感じがします。

ホンマにこんなんで、筋肉エクササイズになるんかいなと疑心暗鬼になりました。

 

しかし、どちらも、静止状態を30秒間、維持するというルールにして、

30秒行い、20秒、インターバルを取り、5回繰り返す、

これを1セットとして、3セット行うというふうにメニューを決めて試してみると、

かなり筋肉に来ました。

3セット目の4回目くらいから、まだ終わらへんのかいなと、不満の気もちも生じ、

それなりの負荷のかかるエクササイズであることを実感しました。

 

しばらくは、このドローインとクランチ、

朝のルーティン・エクササイズとして、継続してみようと思います。