僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

「~になります」

「こちら、~になります。」

一体、何が何になるんじゃぁ~。

What does what become?

英語にもなりにくい日本語。

「古い奴」シリーズが続きますが、こちとら古い奴なんで、この「~になります」という、一見、丁寧語っぽい、言い回し、
ムッチャクチャ、気持ち悪いです。胸くそ悪いです。

いつくらいからですかね、この変な日本語があたかも丁寧な公式語であるかのように使われるようになったのは。
ここ、4.5年と違うかな。

言葉は社会の変化とともに変化していくものです。

かつて「あらたしい」と読んでいた「新しい」が、発音上の経済性、すなわち言いやすさの問題から「あたらしい」と読むようになりました。

1990年代前半、パソコンがビジネスの現場でも生活の現場でも一般化していく中で、「立ち上げる」という、それまでの日本語には存在しなかった他動詞が、もともとあったかのような厚かましい顔とともに、用いられるようになりました。
ホンマは、「起こす」じゃないっすか。

最近のNHKニュースでは言葉と発音のプロであるはずのアナウンサーが、パソコンのアプリケーションやファイルを開くことを「ひらける」というけったいな発音で、読んでいます。
ホンマは、「あける」じゃないっすか。

言葉が変化する、読み方が変化していく、当然のことです。
したがって、古い奴が何ぼ抵抗しても、「~になります」丁寧語が、日本語として市民権を獲得し、一般化していく流れは、止められないでしょう。

でも、気持ち悪いよなぁ~、この言い方。

何が気持ち悪いかっていうと、

例えば飲食店なんかで料理を供される時に、「こちら~になります」という提供の仕方と「こちら~でございます」という提供の仕方を比較してみると、なんとなくわかるんじゃないかな。

「~になります」式のいい方は、これは~ですよ、という自らの判断を棚上げし、誰かによって~にされていますよ、私はただ、お届けしているだけですよ、という、責任転嫁の表れじゃないですかね。

責任転嫁の卑怯な精神が(卑怯だろう、と筋肉をムキムキさせながら読んでください)横行してしまう背景には、何かが起こった時に誰かに責任を押し付けないと気が済まない、社会的な空気が反映されているような気もします。
つまり、僕たちの社会は、本質的に共犯的な共同作業で成り立っているにもかかわらず、その共犯性から目を背けたいという、まさにことなかれ的な卑怯さが、残念ながら21世紀初頭の日本社会の時代精神の一端を形成しているということなんでしょうね。

古い奴に過ぎない一研究者が何ぼわめいても、屁のツッパリにもなりませんが(スンマセン、表現が下品で)、大げさではありますが、時代の証言の一つとして、わめいておきます。

皆さんも僕も、今日もご機嫌さんで、LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフを。