僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

空気のような抑圧

天高く馬肥ゆる秋、いえいえ必要以上に肥えてはなりません。
アル症と肝硬変、勝手に体重コントロール、三つの抑圧と戦う毎日、リスボン、57歳、今日も元気です。

本日も、リスボンのわがまま・ノープラン・有害無益・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。


昨日は、学生たちの履修相談という業務をこなしてきました。

要は、成績の思わしくない学生を呼び出して、時には叱り、時にはなだめ、そして時には励まして、大学をやめないように導く、誘導尋問面談です。

高校まで勉強をしてこなかった若者に、勉強する気を起こさせ、さらに結果が出せるように、その気にさせることが、大学における面倒見ということになります。

まあ、高校までの生活指導という業務が、学生たちの将来設計をも見据えたスケールで行う、面談ですね。

正直、大変ですよ。
みんな、勉強、ほんまはキライなんだもん。
キライなことに取り組むるよう仕向ける、
確かにこちらは、
卒業がかかりますよ、授業料が無駄になりますよ、ってな脅し文句も幾つか持っていますが、
しかし、大変ですわ。
(スンマセン、愚痴ばかりで)

で、この頃、気になるのが、大学に友だちがいないので大学に来にくくなっている、という告白です。
いろいろ聞いてみると、どうやら最近の若者は、
この人は私の友だち、それも深い友だち、この人は、遊びを一緒にすることがあるけど、内面まで関わることのない、軽い友だち、この子は、単にクラスメート、
というふうに、ラベリング(レッテル貼り)を意図的にするようなんですね。

そして、そのラベリングが上手くいかない集団の中で勉強をせざるを得ない時に、学習の不調につながってしまう、ということらしいです。

このラベリングですが、単に他者に対するラベリングにとどまらず、当然、他者にレッテルを貼るためには、自分ってどんなヤツ?というラベリングが前提としてあるようです。

つまり、大学で友だちができにくい若者たちというのは、自己に対するラベリングと周囲に対するラベリングが齟齬をきたしてしまっている状態にあるということなのでしょう。

ここで、年寄りとして気になるのは、自己でであれ他者であれ、そんなに簡単にラベリングできるんかい?という疑問です。

自分ってどういうヤツなの?ってことが分かっていれば、もっとうまく人生をマネージメントできたと思いますよね。
みんなそれがなかなか分からないから、生活に、恋愛に、仕事に、そして人間関係につまづき、傷つくんだよね。
そしてその傷ついて治し、また傷ついて治す、それが人生じゃないでしょうか。

ところが今の若者たちは、悩むよりもとりあえずの結論を提示することを迫られるようなのです。
私ってこういう人です、と、言えなければならないらしい。
こういう人だから、ああいう人とは距離を置いてしか関係を結べない、
こんな人とは、ある程度相手の懐に飛び込むこともできる、ただし、ある程度。

こんなふうに、自己と他者のアイデンティティーの暫定的な決定を要求されている、
それが今の若い子たちのようですね。

つまり、アイデンティティーをとりあえずは固めるということを、柔らかくではありますが、しかし柔らかく、絶対的に迫られている、つまり自己決定という精神状態を抑圧的に余儀なくされている、ということができるかもしれません。

年寄りに言わせれば、アイデンティティーなんてのは、後からついてくるもの、勝手に誰かが傍迷惑にもつけてくれるもので、自ら役柄を決定するようなものではないと思うんだけどね。

SNSが当たり前のツールとしてある若い世代にとって、俺たち、20世紀の若者、昭和の若者の感覚は、ウザいだけなのかもしれません。
でも僕は、下手に迎合するよりも、めんどくせぇ年寄りとして、彼らにぶつかっていくことにします。

うっとおしいやろうなぁ、こんな先生。

うっとおしいやろうけれども、今日も(もちろん明日も)、皆さん、そして僕も、ご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。