僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

人生のへたうま

体重は予想より高めで安定、体脂肪率は嬉しい低さで安定、血糖値は少しずつ人間らしい値に近づきつつあります、アル症で肝硬変でありながら、元気です、リスボン、57歳。

本日も、リスボンの、自分勝手・ノープラン・有害無益・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

木、金、土と3日間、学生たちの履修相談業務、こなしてまいりました。

例年よりも、疲れたなぁ、というのが正直な感想です。

僕が年をとったなということと、病気を期に体質が変わり疲れやすくなったということ、そして一つ目の理由とほぼ被りますが、僕が年をとったことにより、学生たちとの年齢差がより広くなったことによるギャップ感覚、まぁ、こういったことが疲れの要因でしょう。

でも、それだけではなさそうです。

前にも書きましたが、SNSが当たり前のツールとして育ってきた最近の若い子たちには、自らのアイデンティティーを強制的に決定しなければならないという抑圧の中で暮らしている子が少なくないようです。

そしてその強制的なアイデンティティーの決定は、少なからぬ苦痛を伴い、生きづらさを呼び起こすこともあるでしょう。
僕の経験した疲れなんですが、そんな最近の若い子たちの、自分の生きづらさを引き受けることに難渋し、そのことが大学における学習の不調に繋がっていること、そのあたりに要因の一つがありそうです。

もっと自分のダサさ、下手くそさを受け入れて生きることが許されれば、もっと楽になるだろうになぁ、と思います。

ところが、時代がそれを許してくれないようですね。
若者たちは、こうあらねばならない今の自己というものが強制的に設定され、それに適合していない場合、自らを否定的に捉えざるを得ないようです。

かわいそうだなと思います。
そして、20世紀的感覚、昭和感覚では、
「それぞれに頑張ればいいんだよ」と励ましてあげられましたが、
今の時代、そのような励ましは、励ましに見えて、無責任で無神経な押し付けでしかなさそうですね。

自らの頼りなさに涙を流す学生を前に、単純な励ましでは不十分であり、どうすれば彼女/彼の置かれている状況を俯瞰し、適切な声かけができるのか、そのような課題を次から次へと投げかけられる、そんな疲れでしょう。

今の大学の先生、それも中小規模の大学の教師は、学問の先導役のみならず、時にカウンセラー、時にうるさいおじさん、そして時に物分かりの良い(よさそうに見える)親戚の(?)おじさんも演じなければならないんです。

下手な人生を送ることになった経験を少しでも生かせればなぁ、と思います。

下手な人生ですが、それでも皆さん、そして僕も、今日も(明日も)ご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。