僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

普通って

アル症と肝硬変、過度のアルコール摂取に起因する2大疾患、どちらも上がってしまいました。
でも、元気です、周りから見ればうっとうしいほど元気です、リスボン、57歳。

本日もリスボンの、気まぐれ・ノープラン・有害無益・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。


おかげさまで最近、再飲酒欲求が全くなくなったとは言いませんが、酒を飲むということに対して、かなり客観的に対象化することができるようになってきました。

僕のブログでは、タイトルとして時々取り上げてきましたが、「なぜ飲んでいたんだろう」ということについて、さらに突っ込んで考えることができるようになったと思います。

僕の場合、仕事上のストレスが過度の飲酒の原因ではなかったと、ずーっと考えてきました。
今でも、僕は仕事として、好きなことをやらせてもらい、しかもそれを僕自身のスキルを十分に活かせる形で展開することができています。
確かに、組織の中での立ち位置の取り方について、僕は不器用なところがあり、そのことがストレスになっていた可能性はあります。
しかし、僕は仕事を楽しめています。

で、おそらくは、家族との、それも連れ合いさんとの精神的な関係の持ち方のすれ違いが、僕のストレスの一番の大きな要素だろうな、と考えてきました。
要は、嫁も僕を理解しないし、僕も嫁を理解しない。
むちゃくちゃ、単純なすれ違いです。
客観的に見れば、もっと話をすればいいじゃないか、ということでしょうが、
夫婦には夫婦にしかわからない、暗い歴史の積み重ねがあるんです。
そして僕は結果として、連れ合いへの恨みは、死んでも明かさない、ただし僕が死んだ時には、否が応でも思い知らせるという、陰惨なことを考えています。

このことは、今日は脇に置きます。

今日のワンちゃんとの散歩の途中に、ふと今までとは違う考え方、感じ方が見つかりました。

僕が直面していたストレス、そして僕自身もそのストレスについては、あまり意識することはなかったのですが、どうやら、確実にあったストレスというのが、

「普通でいること」

への強制というストレスだったかもしれないのです。

このことが僕の頭の中をよぎった時、愕然としました。

理論と実践の両面から障害学と芸術学の橋渡しを行おうと目論んでいる僕の人生にとって、
あるいは僕がこうありたいと思っている生き様にとって、
つまり僕は、普通でいることを強制する社会に対して異議申し立てを行うことを人生の一つの柱にしていたのですが、
そんな僕が、
「普通でいること」に大きな優先権を置き、そのことの達成のために大きなストレスを抱えたていたという発見は、まさに根本的な自己否定にも繋がりかねない、大転転換への入り口でした。

僕は、34歳で今の大学に就職しました。
また、同じ年に、今の連れ合いと結婚しました。

38歳の時に長女が生まれました。
39歳の時に土地をもとめ自宅を建てました。
42歳の時に長男が生まれました。

昭和のタイムスケジュールからすれば、一般的な男子のライフステージの進展から少しばかり遅れ気味ではありましたが、一人の男子として、恥ずかしくない人生ステップを歩んでいることに安心してきました。

そして結婚しない連中、結婚してもこどもを設けない連中に対して、どことなく優越感を感じていました。

つまり僕は、学問上は、普通であることを強制する社会や文化に対するアンチテーゼを模索していたにもかかわらず、
私生活の根本的な部分では、普通でいられることにとりあえず安心し、その状態を維持しようとエネルギーを割いてきたのです。

この根本的なズレが、僕のストレスの大きな原因であるとすれば、
僕は小さな人間でした。
小さいくせに、生意気な目標を設定してしまったようです。

このストレスが僕の過度の飲酒の要因であったかどうかは、まだ判断できません。
適度なストレスは、プラスの要因としても働きますし、このストレスを解決するには、僕に残された時間はおそらくは少ないと言うべきでしょう。

小さな人間が背伸びをする、このこと自体は悪いことではありません。
そしてその背伸びが時々、背骨や腰に小さな痛みをもたらすのです。
その痛みは伸び代かもしれませんし、悪あがきかもしれません。

再飲酒欲求が抑えきれなくならない限りは、悪あがいてみようと思います。

秋を迎えつつ皆さん、そして僕も、今日も(明日も)ご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続しましょう。