僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

他人のせい

雨とともに一挙に涼しく(寒く)なりましたが、元気なアル症者、肝硬変患者、昭和のおっさん、リスボン、57歳です。

本日もリスボンの、わがまま・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

大学で英語も教えているリスボン、折に触れ、学生たちに対して投げかける質問があります。

「なぜ、中学・高校と6年間も勉強してきたのに、君たちは英語ができないのか。あるいは、できないと考えているのか。」

大半の若者は、自分の努力不足のせいにします。

もちろん、それもありますよ、でも、

と僕はさらに質問を重ねます。

「自分のせいではなく、他人のせいにしてみると?」

いろいろな答えが返ってきます。
中学高校時代の先生のせい、文科省のせい、両親のせいetc. etc.

どれも正しいのですが、結局は、
「社会のせい」
ということになります。

日本の社会が、とりあえず英語ができなくても、一生、なんら問題のない社会だから。

ほんまに、その通りです。

若者が英語が苦手なのは、僕たち、年寄りのせいですよ。

さて、同じことをアルコール依存症についても考えてみましょう。

アルコール依存症を困ったチャン問題としてしか取り上げない場合、
周囲の忠告にもかかわらず、酒を飲み続けた本人のせい、
ということになります。

この言い方は正しいのかもしれません。

しかし、正しいとしても、根本的な問題解決にはつながらないような気がします。

そこで同じく、社会のせいにしてみましょう。

巷にあふれる酒の広告
これもすごいですね。

酒が飲めることは組織内存在として好ましい、という先入観
これも根付いています。

そして、あっちゃこっちゃで気楽に酒が買える、日本の便利すぎる流通事情
これはかなり大きな問題かもしれません。

コンビニやスーパーに酒が置いてあり、年齢確認が必要な時もありますが、基本的には気楽に購入できます。

缶酎ハイなんか、物によっては、ほんまにお小遣いのごく一部で済むもんね。

これは、問題飲酒に至っていない愛飲家にとっては、天国のような状況ですよね。
でもこの天国状況が、僕たちの仲間を増やす外的な要因となっているのも事実でしょう。
パリのスーパーでは、わざわざ店員さんが、酒の入っているガラス棚の鍵を、客がくるたびに開けていました。
それに比べれば、日本はほとんど無法地帯ですよね。

僕も、入院前には、スーパーによれば必ず⚪️⚪️⚪️を購入し、くいっと飲んでいました。

他人のせいにするな、というのが日本人の伝統的な倫理観ですが、
しかし人のせいにできないことによって、
さらに内にこもってしまうアル症予備軍が増えているのも事実だと思います。

考えれば、僕は、恐ろしい習慣に縛られていたようです。

あえての結論は出しませんがこの少し恐ろしい社会の中で、
皆さん、そして僕も、今日も明日もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。