僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

宴席での会話

一気に寒くなりました。
やっぱりこの国には秋がなくなりましたね。でも
アル症と肝硬変、リスボン57歳、元気です。

本日もわがままリスボンの、天衣無縫・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

思い返してみれば昨年の今頃は、酒飲みとして最低の状態に近かったかもしれません。

思いついては朝からいっぱい、引っ掛けます。
(仕事、休日関係なく)
スーパーによれば、これまた時間に関係なく、缶チューハイを一缶買って、グイと飲んでました。
当然、手先は一日中、震えていたようです。

今となっては信じがたい生活を送っていました。

さて、断酒ライフも、300日が近づいています、
再飲酒欲求もほとんど顔を出すことは無くなりました。

でも、酒席への参加の際の心構えを変えざるを得ないことに関しては、
少しばかり寂しさを感じます。
そして、大人数の立食型のパーティーではなく、
少人数で卓を囲むようなスタイルの酒席には、まだ参加する自信がありません。

そういう場こそ、まさに胸襟を開いて互いの距離が一気に短くなる、素晴らしい機会に見えますよね。

でも、ほんまにそうだったんでしょうか。

酒を酌み交わすことによって互いの距離が近づくように感じられること、
これは、もしかすると錯覚ではないでしょうか。

錯覚とは言い切れません、
確かに、お互いに普段は語り合うことのない中身について話したことは間違いなさそうです。

でもその互いの話のキャッチボールは、本当に深まったものなのでしょうか。

酒は一種の薬物です、しかも脳の働きに作用する薬物です。
酒席での会話とは、その薬物の支配下にあることによって、
相手の発言を聞いている振りをしながら自説を延々と繰り返す、
そしてその繰り返される自説も、一向に深まることのない、
聞く(聞いている振りをしている)相手がいる、
エンドレス・モノローグにすぎない可能性が高いのです。

でも、この錯覚は大事でしょう。
たとえ錯覚でも、互いに胸襟を開きあったような気になる、
そこから新しい人間関係が始まるのは確かです。

僕たち断酒者は、どのような心構えでそのような席に参加すればいいのでしょうか。
酔っている同席者の言動の変化に注意する、
特にひたすら盛り上がっているように見えながら、エンドレス・同じこと会話に注目する、
そして料理に舌鼓を打つ。

いろいろな楽しみ方があるでしょう。

幸いにして僕には、そのような席に同席しなければならない機会は、比較的少ないです。
でも、そのような機会には、昨年までとは違うリスボンくんのマインド・セットで、臨もうと思います。

秋深し、皆さんも僕も、今日も明日もご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。