僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

お墓

筋雲が適度に走る蒼空 秋真っ只中
アル症、肝硬変、おっさん症候群、リスボン57歳、今日も元気です。

本日もリスボンの、わがまま勝手・ノープラン・ブログ、ご訪問、ありがとうございます。

僕は、決して無神論者ではありません。

かといって特定の信仰と共に暮らしているわけでもありません。

神社を訪ねれば、お祀りされている神様へのご挨拶ということで、拝殿で二礼二拍手一礼の作法を行い、
御寺様では御本尊様に手を合わせ、
教会では十字架上のイエス像に向かって手を合わせます。

世界中の文化の礎を支えてきた先人たちの信仰には大いなる敬意を表したいと思ってます。

また人間という、ちっぽけなくせに生意気な存在を時にたしなめ、時に導くお方としての神様については、
その存在を信じています。

そういう意味では僕は、信仰とともに生きているといってもいいと思います。

ですが、自分の死後のことには、全く興味がありません。
死んでしまえば、僕はただの屍という、めんどくさいだけの物体ですので、
残された者たちにとってもっとも負担の少ない方法で、処理してくれればいいと思います。

あえて希望を述べれば、琵琶湖に捨ててほしいかな、法律が許せば。

ですから、自分が何らかのお墓に入るという発想は、ほとんどありません。

一応、僕が収まるべきお墓はあります。

でも、そこに入れてくれという希望は全くない。

もちろん、残された家族にとってそれが一番良いのであれば、それはそれで構いませんが。

ただ、こんな僕でも、この世から消えたのちに、僕のことに思いを寄せてくれる人があるかもしれません。そんな人たちのために、ここに行けば、リスボンが生きた証があるよ、という場所は必要なのかもしれません。
それがお墓であるべきかどうかはわかりませんが。

でも、死んだらとっとと忘れ去られるのが一番いいかな。
理想だと思います。

でも神様から生きよと言っていただいている間は、生きますよ、世間から嫌われようとも。

中途半端な話になりましたが、みなさん、そして僕も、今日も明日もご機嫌さんで、
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。