僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

中国の仏様

イメージ 1

上海5泊6日の後、深夜の京都駅でオール、そのまま仕事、宴会、土曜日は楽器の積み込み、そして日曜日はライブ、疲れが取れません、アル症、肝硬変、リスボン、58歳。

本日もリスボンの、気まぐれ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

写真は上海の中心部にある名刹、静安寺のお釈迦様です。

私たち日本人は、宗教心が乏しいと言われることが多い、
あるいは、そのように自己評価することが多いようですが、
実際には、やはりほとんどの日本人が、仏教と神道という二つの精神的主柱に頼っていますよね。

そして日本の仏教は、インドから東南アジアに渡った仏教というよりも、
インドから中国、そして朝鮮半島へと伝わった仏教というべきでしょう。

というわけで、東アジア文化の源流を訪ねる今回の調査、
信仰が生きているお寺さんの訪問も、
重要な経験となりました。

写真の静安寺と龍華寺を訪ねましたが、どちらも多くの参拝者が訪ねていました。
台北に行った時も拝見しましたが、中国仏教の礼拝方法の一つは、
太い線香を何本か束ねて両手に持ち、何度か顔の前で上下に振りながらお辞儀をするというものです。
細かい作法は、一人一人微妙に異なるようで、
おそらく地方差もあることと思われます。

しかし皆さん、熱心に参拝してらっしゃいました。

そしてその参拝にお答えする仏様ですが、
例えば写真の静安寺のお釈迦様のように、
仏教彫刻としては決して美術的な価値が高いとは言えません。
むしろ、あまりにもわかりやすすぎる世俗さに溢れてらっしゃいます。

しかし僕は、この世俗さに大いに打たれました。
仏様はお祈りすれば優しく見守ってくださるんだよ、
という民衆の祈りに応えるかのような造形は、
西欧的な芸術学的美とは異なる価値構造に基づいているようです。
信仰とは、本来そういうものかもしれません。
世の中の仕組みを大局的に理解することができない庶民が、
仏様や神様に全てを委ねてしまう、
その礼拝の対象は、あくまで優しく微笑んでらっしゃる。

カトリックの聖母子信仰にも通底する精神があるようです。

僕もこの二つのお寺さんでは、
研究者であるよりも、一人の救いを求める小さきものとしてふるまわせていただきました。

(少しはご利益があるかな。)

仏様の御前にて皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。