本日もリスボンの、どうでもえぇ・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
本日は、先に施していただいた食道静脈瘤手術の結果の評価、ならびに胃がん検査のため、内視鏡検査を受けてきました。
例によって、点滴による睡眠状態の治療、終わった時にはカーテンが四方に張られたベッドでぼけっと寝ていました。
例によって、点滴による睡眠状態の治療、終わった時にはカーテンが四方に張られたベッドでぼけっと寝ていました。
どうやら胃の入り口に良性の腫瘍があるようですが、治療すべきか放置すべきか、微妙なところのようですね。
絶食明けに病院内のコンビニでサンドウィッチをいただきましたが、
何か物足りなかったようで、帰りがけのスーパーで菓子パンを買い食いしてしまいました。
賞味期限切れ寸前の見切り品、イチゴクリームデニッシュでした。
何か物足りなかったようで、帰りがけのスーパーで菓子パンを買い食いしてしまいました。
賞味期限切れ寸前の見切り品、イチゴクリームデニッシュでした。
そしてその時、自分がいかにちっちぇ~人間であるかということに、気が付いてしまいました。
僕は、食べたいものよりも、賞味期限切れ寸前のディスカウント品を選ぶ、ぼけカスな消費者だったのです。
ホンマに安くてよいものを求めているというよりも、
ちょっとした時間差で、二、三十円の差が生じる、同じ品でありながら値段が変わるという事実に、
不必要なほどの重要性を感じてしまう、トンデモ消費者。
もしかすると、必要ではなく、そしてほしくもないにもかかわらず、
時間差ディスカウントのラベルが貼られたがゆえに商品を手にしてしまう、ウルトラ・おバカさん・消費者。
ちょっとした時間差で、二、三十円の差が生じる、同じ品でありながら値段が変わるという事実に、
不必要なほどの重要性を感じてしまう、トンデモ消費者。
もしかすると、必要ではなく、そしてほしくもないにもかかわらず、
時間差ディスカウントのラベルが貼られたがゆえに商品を手にしてしまう、ウルトラ・おバカさん・消費者。
一番賢い消費者は、ホンマに必要ではないものは買わないという選択をするでしょう。
しかし僕は買ってしまう。
多分、依存症の出発点というのは、どのような依存症であれ、
他人から見たらどうでもえぇやん、というちっちゃなことに対する妙なこだわりなんじゃないでしょうか。
他人から見たらどうでもえぇやん、というちっちゃなことに対する妙なこだわりなんじゃないでしょうか。
こだわりという感覚、
何かを成し遂げるためにはとても大事な感性の一つです。
何かを成し遂げるためにはとても大事な感性の一つです。
アーティストはもちろんのこと、ビジネスマンでも政治家でも、一つのこだわりを貫き通すこと、
きっと活動の強さにつながりますよね。
きっと活動の強さにつながりますよね。
でもこだわり自体が目的化した時に、危険な下り坂が見えてくるのかもしれません。
下り坂ですから、ある程度下ってしまうと、自力ではブレーキがかけられません。
僕たちは連続飲酒という下り坂のブレーキを失ってしまいました。
どうも僕の中には、対象は何であれ、ブレーキを見失ってしまう性向があったようです。
せっかく立派に一つの依存症になってしまいました。
他の依存症の下り坂につかまらないように、自らを律してみようと思います。
他の依存症の下り坂につかまらないように、自らを律してみようと思います。
ええ歳こいて、まだまだ学びます、ひつこく。