僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

許されないのか…

飲酒歴40年、断酒歴2年と少し、前科者歴20年?リスボン、59歳。

本日もリスボンの、今日も被害妄想・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。


いきなりですが、僕がこれまでおまわりさんにお世話になったのは、
やはり、若いころに交通関係の指導や違反が中心です。

今は、輝くゴールド免許ですが、

短期免停2回、
中期免停1回、

罰金納付1回、

朝まで交番でおまわりさんとお喋りの刑、1回、

それなりにやんちゃをたしなめられてきました。

あと少々めんどくさい事例でいいますと、
在日であったため、外国人登録証不所持という取り締まりも受けたことがあります。

あとはありません。


イントロで書いた前科者歴20年?というのは、ですから、
この国の法律に基づく前科ではありません。

しかし僕は、今所属している組織に対しては前科者というか、
いわゆる賞罰の罰を受けた経験があります。

で、今日の話なんですが、
直接そのことではありません。


そのことから連想される、僕たちアル症者が経験する共通の苦しみについてです。

僕たちは、
もちろん、それぞれにいろんな理由があって使用障害という疾病に陥ったわけですが、

しかしその理由に、自己責任としか言えない部分がある人が多いと思います。

つまり、きっかけはストレスだったりするんですが、
その苦しみから逃げるために酒を飲んだのは、僕たち自身だったわけです。

あえて自虐的な言い方をすれば、
勝手に飲みすぎたわけです。

そして僕たちが疾病としての使用障害の苦しみを訴えた時に、

自分で勝手にそうなったんやろ、

という冷たい仕打ちを受ける可能性は、残念ながら高い。

確かに家族に対しては何らかの形で迷惑をかけてしまっています。
今さら、病気だからといわれても、というのも
もっともかもしれません。

身から出たさびという言い方から僕たちは逃れることはできないのかもしれません。


でも僕はここに僕たちの病気が単なる疾病ではなく、
心理的・精神的な障害であり、
そして社会的な障害であることのポイントがあるような気がしています。

僕たちは反省しなければなりません。
そして反省の後に新たな人生を送らなければなりません。

僕が恐れるのは、
反省を求める声が僕たちの気持ちを萎縮させてしまうことです。


僕は今家族の中で孤立しています。

ホンマは、

お前ら、俺の話も聞けよ!とちゃぶ台返しをしたい。

でも僕は僕のちゃぶ台返し願望を抑えています。


家族の前でのちゃぶ台返しくらいは我慢の範疇ですが、

本当にやり直したいと思っている人たちが、
過剰な自己批判要請に対して耐えられなくなることはないのでしょうか。

もちろん、ただ単純に許しを請うだけではだめでしょう、
気持ちと態度、そして行動に表さなければなりません。

でもその上で僕たちは突き落とされるのでしょうか。

薬物使用障害者に自己責任を問う社会的な抑圧は、正当化されるかもしれませんが、
僕たちが正面から取り組むべきはこんな問題かもしれません。


少しばかり重苦しい話になってしまいました。
が、僕たちもこの社会の中で生きています。

生き続けていくために

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。