僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕たちと数字

飲酒歴40年、断酒歴2年と2か月、患者歴も同じく2年と2か月、不良初期高齢者、リスボン、59歳。

本日もリスボンの、ホンマに不良なノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


今日は、もしかすると不良といいながらも少しまじめな話かも。


ものすごく単純な図式で考えてみます。

よい子 自らよりも上位にある人の指示に基本的従う人。

不良 上位の人の指示に従ったり従わなかったり。


誰でもこどものころは基本的にはよい子でいるべきですよね。
なぜならこどもはいろいろな面で判断力も実行力も中途半端だからです。

こどもが大人に勝るのは、その怖さを知らない想像力の広がりに裏打ちされた潜在的能力です。

でもこどもは、多くの場合、善悪の判断の及ぶ範囲が狭いので、
高度な判断は上位者としての大人に従うことが望まれます。


でも僕たち大人は、
こどもが従うような単純な図式では収まらないような事態に、
往々にして出会います。

善悪の問題一つとっても、
悪いことは悪いんじゃい、といった簡単な物言いが通用しない場合があることを知っていますよね。


そして大人の世界では、そもそも上位者とはだれなのかという基本的な問題構造が、
それほど単純ではありません。


僕たち、アルコール依存症患者は、
内臓疾患を抱えている場合も少なくありません。

僕もそうでして、
肝硬変は不可逆的な段階まで進んでしまっています。

幸いにも食事制限は特にありませんが、
朝昼晩と、何種類かの薬を処方されています。


で今日の話のメインの部分なんですが、

このドクターから処方してもらっている薬、
どこまできっちりと用法を守って服用しなければならないのか、ということです。

よい子であれば、問答無用、
お医者さんの言うとおりに服用すべし、
ということになるんでしょうね。


しかし不良は、ここで立ち止まって考えてしまうんです。

ドクターは総合的な見地から様々な身体状態に対応できる薬剤を指定し、服用法や服用量を決定します。

最近のお医者さんは診察の際に、
データが表示されたパソコンのモニターを見ながら僕たち、患者とやり取りをされます。

幸いにも僕がこれまでお世話になっている若い主治医はお二人とも、
僕の顔を見ながらお話をされますので、
僕も患者という人間として対峙ていただいているなという安心感がありますが、

聞くところによると、
全く患者の顔を見ずにモニターだけを見ながら診察されるドクターもいるそうですね。

そしてモニターには僕たちの体の状態を示す様々なデータが表示されていますが、
それはほとんどの場合、数字です。

多くのドクターは、モニターに表示された数字に基づいて病状を判断し、
そして薬を処方されるようです。

ここまでドクターの側に基本的に落ち度はなさそうです。



でも不良な大人としての僕は、
何か、納得できないんですよね。

何が納得できないかというと、

俺たちは数字の集合体じゃねーぞ、

という納得のできなさなんです。


確かに様ざまな検査の結果は多くのことを語ってくれているでしょう。

そしてその数字に基づく判断は、
僕の身体状況を安定させたり向上させたりするために必要欠くべからざるものです。

でも何か、納得しきれないんですよね。

特に処方されている薬の量に関しては、
もっと種類も用量も少なくていいんでねぇの、
と思ってしまうんです。

なんぼ保険の適用があるといっても、
薬代、結構かかりますしね。


医者と患者という、明らかな力関係。

でもこの関係にも僕は納得しきれないものがあります。

この力関係からはみ出そうとする不良としましては、
一応まじめな観点から、
被抑圧者としての患者の立場について考えていこうと思います。


考えるためには頭がちゃんと働くようにしておかなければなりませんので、

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。