飲酒歴40年、断酒歴3年と2か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。
本日もリスボンの、今日も再発見・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。
ありがたいことに再飲酒欲求は全くありません。
全くという決めつけが不適切だというのであれば、
ほぼなくなったといい換えましょう。
そこで、飲酒歴40年の間のことを思い出してみます。
僕が酒を飲み始めたのは十代後半、
それでも高校生の頃は機会飲酒でした。
しかし大学に入学し、
安アパートでの貧乏一人暮らしが始まると、
すぐに習慣飲酒者に変わり、
それ以来、40年間、
相当に体調が思わしくない時でも、
飲めば何とかなると訳の分らん信念のまま、
飲み続けていました。
酒を飲まない日、
いわゆる休肝日なんてものは考えられませんでしたし、
考えたくもありませんでした。
それがなんと今は、
飲酒欲求はおろか、
酒を目にしてもこれが体内に摂取するものだという認識そのものが浮かびません。
自分でいうのもなんですが、
よく変われたものです。
もちろん、飲酒者が断酒者に変わるためにはいろいろありました。
でも考えてみるとこれだけ劇的に変われたということは、
またさらに劇的に変わる、
あるいは考えたくもありませんが、
劇的に元に戻ってしまうこともあり得るわけです。
僕たちの精神、つまり脳の力というのは、
実は相当、怪しいものだということなのかもしれません。
人は精神力というものの無限の可能性にすがりたいこともあるでしょう。
しかしその精神力が、それほどあてにならないかもしれません。
幸福の科学や顕正会、そしてものみの塔のように、
どう考えてもまともとは思えない新興宗教があります。
そんな信仰にはまってしまうのも、
僕たちの精神、即ち脳の力が弱いせいかもしれません。
しかしここでももう一回、発想をひっくり返してみましょう。
僕たちの脳の力、精神力は、それほど強いものではありません。
しかしだからこそ、僕たちは依存症の足かせから少しづつ遠ざかることができるのだとも言えませんか。
脳が弱いからこそ、僕たちはまた再び、変身できるのです。
硬く、こっちんこっちんの大樹のように生きることではなく、
また、リスクとの遭遇を避けるのではなく、
異なる道への導き役であると考えること。
今僕たちは、
僕たちの病気の遠因となった僕たちの気持ちの揺るぎやすさを、
単なる弱さとしてではなく、しなやかさとして誇るべきでしょう。
断酒ライフは、じっと耐えることではなく、
しなやかに新しさを迎えることです。
僕たちの生きる意味を脱構築してやりましょう。
僕たちこそ、ポスト構造主義の体現者です。
いつものように
皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。