僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

大津の園児死亡交通事故について思うこと

飲酒歴40年、断酒歴3年と3か月、不良初期高齢者、リスボン、60歳。

本日もリスボンの、今日はまじめに・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。


一昨日、大津市内の僕もたまに通ることのある交差点で、
痛ましい事故が起き、2歳のこども二人が死亡しました。

大きく報道されていますので、
皆さんもこの事故についてはご承知のことと思います。


いろいろな問題点を投げかけることになる、
重大な事故だと思います。

ただ今のところ、
保育活動そのものを問題視するような見方は否定されつつあるようで、

社会全体がこどもを育てるべきであるという考えをもっている僕としては、
積極的な保育活動を規制する方向には向かっていないことに安どしています。

ちなみに僕は、
現在は障害児福祉に重点を置いていますが、
かつては幼児教育とアートの関連をめぐる研究活動にも従事していました。



現在、僕が考えている、この事故がもたらした問題点について述べます。

もちろん、事故そのものの最大の過失は、
前方を確認せず交差点を右折しようとした乗用車を運転していた、
52歳の女性にあります。

交差点の右折という、
きわめて難易度の高い運転局面で、
惰性に任せて十分な注意を払わなかった点、

運転免許保持者として到底許すことはできません。


もちろん、
右折信号の時間配分の問題や、
歩行者を保護する道路のインフラの未整備という問題もあるかとは思いますが、

僕はまた違った見方をもっています。



それは何かというと、
自動車の運転が簡単になりすぎてしまった点に問題はありはしまいかということです。

現在のAT車は、基本的には、
ハンドル、アクセル、ブレーキの操作だけで、
転がすことができます。

漕がなくてもいい分、
チャリの運転よりも簡単といっていいと思います。


しかし簡単に転がすことができるこの自動車という道具、
簡単に人を殺すことができる、
とんでもないエネルギー発生装置でもあります。


不注意で簡単に人を殺せるんです。


便利さを追求することを一面的に良しとしてきた、
文化の発展の一つの方向に、
間違いはなかったのでしょうか。


僕は以前から、
便利になりすぎる現在の様ざまな道具について、疑問を感じていました。

いまだにスマホを使わないのも、
そんな感覚に基づいている部分もあります。



便利な道具は、
人の道具の使いこなしの感覚を劣化させる、

そして劣化してしまった感覚は、
他者を死に追いやるまでその劣性を自覚しない。


僕の考え方は極論でしょうか。


この事故が投げかける様ざまな問題について、
運転免許保持者として、
そしてほぼ毎日、運転するものとして、
重く受け止め、
その自覚を運転に反映させます。


人は誰も、
殺してはなりません、
そして死んでもいけません。

ですのでいつものように

皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWoA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。