僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

僕の風変わりなキャリア その1?

飲酒歴40年、断酒歴7年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、これはアーカイブ?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

唐突ですが、アルコール使用障害者となったこれまでについて、

断片的にはなると思いますが、何回かに分けて、振り返ろうと思います。

 

どこで過剰飲酒者になってしまったのか、

もともと、その素養?あったのか、

何か、人生の踏み違えがあったのか、

誰か、あるいは社会のせいにできるのか、できないのか。

穏やかに酒と付き合う可能性はあったのかなかったのか。

 

いろいろな問題点の立て方がありそうですが、

今日は僕の奇妙な就職体験について、記録しておきます。

僕の就職はあまりにも特殊な事例であるため、

アーカイブとしての意義も怪しいかもしれません。

 

僕は研究者、より具体的には、大学の教師になりたいという希望をもって、

大学院に進学しました。

現在の若手研究者は、博士課程まで進学し、

多くの場合、博士号を取得しますが、

僕たちの世代の人文系の研究者にとっては、博士号は名誉称号のようなもので、

僕は当時、博士号の取得は考えませんでした。

 

幸いにも修士課程を修了した翌年、26歳の時に短期大学の非常勤講師の職に恵まれ、

それから専任教員の職に就く34歳まで、

昼はいくつかの大学で非常勤講師、そして夜は盛り場ピアニストという、

これまた奇妙な生活を続けました。

 

この時期にすでに、大量飲酒者としての修行?は進行していました。

もともと酒好きであったことと、

盛り場ピアニストとしてお客さんの進める酒をいただくことは、

勤務する店の売り上げにも貢献しましたので、

毎晩、ぐいぐいいってました。

 

僕が現在の勤務先に就職が決まったのは、先も書きましたように34歳の時です。

某新設大学の専任講師として就職しました。

 

大学の教員の就職は、通常は教員を募集する大学が人事決定を行います。

殆どの大学が公募という形で教員を募集し、

就職を希望する研究者は、研究業績を中心とした売込み書類を作成して、応募します。

そして採用する大学がそれらの書類を審査し、さらには面接等を行って、

教授会等で決定提案を行い、最終的には理事会で採用が決定されます。

 

しかし新設大学の教員人事は、

文部科学相の諮問機関である、大学設置審査会という組織が審査を行います。

大学を設置しようと考えている学校法人は、

その大学の人事計画を作成し、文科省の審査機関に判断を委ねることになります。

 

 

そしてこの人事審査ですが、かなり厳しく審査されるそうです。

僕が就職することになった大学、つまり現在の勤務先ですが、

後から知ったことですが、

何人もの教員候補者が審査を通過しなかったそうです。

 

僕は幸いにも、専任講師という若手の採用職位であったため。

それまでの研究業績で審査をパスできました。

 

僕のこの大いに風変わりな就職採用過程が、僕の生活観や労働観、

つまり僕の人生観の全体に、奇妙な光というか影を落としてしまったような感じがします。

 

というのも、僕を採用しようとしている学校法人にとっては、

僕を採用するという上位者の立場にありながら、

僕の採用の審査結果によって大学設置計画に影響が出てしまうという、

何とも微妙な立ち位置に置かれることになります。

 

僕は採用してもらうという立場でありながら、

僕の業績によって大学の新設を後押しするという、

少しばかり上位者の立場にもたったことになります。

 

そしてそのような採用過程が、僕の職業人としてのスタート地点に、

不思議な特異点を置くことになりました。

 

僕は僕の採用主体である、僕の勤務先の学校法人と、

採用に関する正式の採用契約を交わしたことが1回もないのです。

採用契約書類の類は、まあ、形式的なものでしょう。

しかし僕の職業観の形成にとって後から考えてみれば、困ったことになったのは、

採用にかかわる様ざまな条件や約束事について、

1回も説明を受けたことがないのです。

 

僕の職務上の義務はどのように決められているのか、

勤務時間等の管理業務はどのようになっているのか、

給与体系はどのようになっているのか、

保険や手当等はどのようになっているのか、

職務遂行に必要な予算の執行はどのように行えばよいのか。

 

これらについて、誰からも教えてもらう機会がありませんでした。

僕は僕の職業について、その実務的な側面については全く理解できていないまま、

若手の大学教員として、浮ついた気もちで生活を始めていました。

就職の決定と同時に、結婚もしました。

 

僕の職業人としてのスタートが風変わりなものであったことが、

僕のアルコール使用障害と関係があるのかどうかは、分かりません。

しかし僕の過剰飲酒を考えるうえで、無視できない要素ではあったと思います。

 

また折に触れて、僕の風変わりな経歴について、書いていこうと思います。