僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

奇妙な空間?

飲酒歴40年、断酒歴7年と6カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、多分ジェネレーション・ギャップということでは収まらない?ノープラン・ブログ、

ご訪問ありがとうございます。

 

このブログは、もちろんブログですので、

ライブ配信ではありません。

もちろん、20世紀感覚丸出し原始人の僕に、

ライブ配信などという大それたことはできません。

 

でも今僕は、とあるミーティングに出席しながら、

そのミーティングの奇妙な?雰囲気を伝えるべく、

生中継的にこのブログを書いています。

 

僕が出席しているミーティングは、

僕の勤務する大学の学生たちの主催する、

大学祭の露店出店希望者に対する打ち合わせ会です。

 

主に場所取りを相談する会議なのですが、

主催する実行委員会の諸君の事前の段取りが不十分なようで、

打ち合わせの進行がかなりだらだらしています。

 

不思議なのは、だらだらした進行に付き合わされている出店希望者たちから、

会の進行の不具合に対する抗議や不満の声が全く上がっていないことです。

現在、時刻は午後8時、

学年歴の上から言っても、様ざまな授業の課題提出時期の寸前くらいに当たり、

殆どの学生諸氏にとって、余裕のあるカレンダー状況ではないはずです。

 

しかし会場となっている教室内に、不穏な空気は全く漂っておりません。

 

ここからは高齢者の感覚だと思いますが、

僕たちが若者当事者であったころであれば、

 

「何しとんねん、ダラダラさらしやがって」

「ちゃんと準備しとかんかい」

「こっちも忙しいネン、早よせんと帰るで」

 

と不満、不平、そして抗議の声があちらこちらから上がったことだと思います。

 

どうも今の若者たちは、平気なようですね、このような情況は。

 

少なからぬ若者たちは、スマホやパソコン等を眺めています。

もっとも僕も、この待ち時間を有効に使おうということで、

このブログを書いていますが。

 

デジタル・ガジェットによって時間つぶしは何ぼでも可能であるというのは、

確かに今の若者たちにとってのメリット?かもしれません。

 

ただ僕がそれ以上に感じてしまうのが、

どうやら今の若者たちは、

誰も責めないのです、自分自身も含めて。

誰かを責めることによって、場がぎすぎすし始める、

誰かを責めることは、やがてはブーメランとなって自分自身に返ってくる、

そんなことを無意識のうちに?抑えようとしているのが、今の若者たちの特性のような気がします。

 

僕たち、主張することが生きていることの意味であったオジィ世代からすると、

いわゆる Z 世代と呼ばれる今の若者たち、

自ら去勢される道を選んでいるようにすら見えます。

しかし彼女/彼らは、去勢されながら宦官としての新たな闘争に臨むわけでもなく、

互いの間に快適とも呼び難いクッションを巡らせることで、

互いを守っているようです。

 

彼女/彼らは、自らの生き物としてのサヴァイヴァル本能を放棄してないでしょうか。

大きなお世話なのかもしれませんが、

若者たちと関わる職業についてきた経験からすると、

Z 世代の若者たちの表層的な優しさ?相互防御完成は、

人類の破滅の道を暗示しているようにすら思えます。