僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

中国の対応に思うこと

飲酒歴40年、断酒歴7年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、話はとてつもなく複雑でしょう・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

僕は平均的な日本の一般市民よりは、

中国について共感的な感情をもっています。

北京2回、上海1回、そして香港も1回、訪ねております。

さすがに中国語はできませんが、

中国4千年の歴史が築き上げたその文化的な蓄積には、

敬意を感じています。

 

そして何よりも、

中国と韓国、そして日本が協力して21世紀の世界をリードすべきだと思っています。

 

でも今回の中国の対応については、

理解や共感、そして許容の範囲をさすがに超えています。

Fukuichi Disaster の排水処理問題に対して、

日本からの水産物の輸入を全面的に禁止し、

そしてなぜか少なからぬ中国国民?が、日本の様ざまな組織に対して、

嫌がらせの電話攻撃を仕掛けてきました。

 

中国政府の対応も国際的な妥当性を欠いていますし、

市民?の電話嫌がらせ攻撃に関していえば、

どんな動機や目的があるのか、想像すらできません。

 

確かにあの国の社会体制は、理解を超えた部分があります。

単なる一党独裁を超えて、恣意的な個人独裁の体制に移行してしまったように見えます。

そして、そのような社会体制の中で多くの市民が、

客観的な判断力を失ってしまう、あるいは積極的に放棄してしまっているのも、

もしかすると、自然なことなのかもしれません。

 

でもここで、ふと新型コロナウィルス感染拡大防止に躍起になってきた、

この3年半のこの国の多くの良心的な市民の対応を考えてみたときに、

現在の狂信的な中国市民の対応とあまり変わらないような感じもします。

 

お上のいうことにはとりあえず従う、

あるいはもう少しおとなしい言い方をすれば、

しかるべき手続きを経て決定された社会的な意志の発露に関しては、

善良な市民としてそれに無批判で従うべきである。

どうも日本人のメンタリティーの中に、こんな感覚があるような気がするんですが、

僕は、勘違いしてますでしょうか。

 

東アジア的共同社会第一主義。

農耕民族に特有の集団第一主義。

儒教的血族集団第一主義。

 

西欧的な個人主義が何よりも素晴らしいと思っているわけではありませんが、

どうも東アジアの社会精神構造の中に、

個人として考察し、判断し、行動するという、

基本的な人間の能力をないがしろにする部分があるような気がして仕方がありません。

 

話は単純な原理では解決できないでしょう。

でも、僕たち一人ひとりが考えることを放棄すことだけは、

絶対にしてはなりません。